2010年11月13日土曜日

映像漏洩「保安官」に甘い日本メディア


昔、ハワイに留学していたとき、日米交流のためにホノルルに寄港した海上保安庁の保安艦をたずねたことがあった。かつて運輸省に勤めていた知り合いが招待してくれたのだ。日本食をご馳走してくれたお返しに、外出できない乗組員のために、買い物係をしてあげたりした。

彼らが日米交流で訪問した組織は、コーストガードだった。日本では沿岸警備隊と訳されるが、れっきとした軍である。米軍は5軍から成る。海兵隊(マリーン)海軍(ネイビー)陸軍(アーミー)空軍(エアフォース)そして、コーストガードである。

このことは、米軍が保安庁を軍事組織と理解していることを意味しているが、日本人は、それを理解していないようだ。

軍事組織である以上、厳しいシビリアンコントロールの下に置かれるべきであり、文民政府の決定や法に従わない隊員がいれば厳しく処分されるべきだ。今回の漏洩事件でもそうだ。

なのに、ジャーナリズムは、事件に係わった保安官に寛大な処分を求めている。海上保安庁を軍事組織とみる世界の常識は、日本のジャーナリズムには通じないようだ。平和ぼけというなら、こういう報道姿勢をいうべきだ。軍事組織の一員が、文民統制に反する行動をとったという事実に敏感であるべきだ。

ジャーナリストが政府の隠す映像を暴露するのとは本質的に異なる。愛国心を大義名分にして、軍事組織の一員が暴走した危険な事件だったと理解すべきではないのか。ジャーナリズムは、そのことを自覚すべきだ。すくなくとも、私はそう思う。

ホノルルで出会った保安官たちは、仲間意識の強い、気さくな人たちだった。自衛艦よりすくない人員で人命救助活動に専心しているという高い矜持。自衛隊員より遙かに高いプライドを持つ彼らは、交流相手の米コースドガードの志気の低さにやや物足りなさを感じているようにさえ思えた。

今回の事件について、彼らは何を思っているだろうか。強い仲間意識が偏狭な愛国意識に変質しないことを祈るばかりだ。保安官のプライドにかけて、「愛国無罪」といって無法を働く人たちと、彼らが同列であっていいわけはない。

2010年10月6日水曜日

名古屋市長の勝利は、議員たちのオウンゴール


名古屋市長が議会のリコールを求めて行った署名運動が終わり、ほぼ目標を達成したという。「NHKのクローズアップ現代」が取り上げていた。
大阪、名古屋、宮崎など地方自治体の首長が、一見、改革的だが本質的にポピュリズム(大衆迎合)に依拠する政策を掲げて、公務員をやり玉にあげ、被差別部落や障害者などに対する優遇政策を逆差別だときめつける、ある種のヘイトポリティクス(大衆の敵意や憎悪に迎合する政治運営)を展開し、サイレントマジョリティ(支配的多数派)の支持を集めている。その結果、世論調査は高支持率をはじき出し、彼らの向かうところ敵無しといった感じだ。彼らのやり方は、人権や社会的弱者への配慮を欠如している点で、本質的に新自由主義者の言説に似ている。
しかし、それに対抗する勢力は、今のところ、地方政治の中には現れていないといわざるを得ない。
映像を見ていると、河村市長に対立する市議会議員たちの活動が紹介されていた。その映像をみたとたん、議員たちの敗北は決定的だなぁと思わざるを得なかった。議員たちは、おそろいで作ったスタジアムジャンパーを着て、住民たちに支持を訴えていた。そのスタジャンの背には、「名古屋市会」と金色の文字が刺繍されていた。
「市会」
それはないだろう。市会というのは、戦前の旧天皇制支配の下で組織された翼賛的地方議会の名前ではないか。戦後憲法の下では、「市会」などもはや存在しない。「市議会」が正しい名称なのだ。
「市会」議員などと無自覚にも自称するその時代錯誤に気付かないのだろうか。それはとりもなおさず、戦前的な翼賛体質をそのまま残していることを自ら表明していることに他ならない。
この無自覚さと時代錯誤。それだけをとっても、河村市長に軍配を上げざるを得ないだろう。名古屋の乱は、市長の勝利というより、無自覚で旧態依然な議員たちが自ら墓穴をほった結果にほかならない。

2010年9月24日金曜日

領土をめぐる対立は、主権国家の病気


河北省の軍事区域内で撮影していた日本人4人が拘束された。そのニュースを聴いて、数年前の経験を思い出した。

中国雲南省からメコンを下りながら踏査しているとき、チャーターしたはずのボートになぜか二人の入国管理官が乗り込んできた。
チャーター船に役人をただ乗りさせる船会社の一種の賄賂だろうと思っていた。

しばらくして、そのうちの一人が居眠りを始めた。船からメコンを撮影していたカメラに 彼の寝姿が映り込んだ。それを観たもう一人の管理官が、突然、私を拘束すると言い出したのである。国境地帯を無断で撮影したという理由だ。


しかし、メコン流域はどこをとっても国境だ。それを撮影したから拘束するという理由はあきらかに嫌がらせだ。要するに、居眠りを撮影したテープを取り上げたかったのだろう。押し問答の末、テープの該当箇所を消去することで折り合い、管理官たちは、下船していった。

役人が無理難題をふっかけ、やりたい放題できる社会が、まだ、ここには残っているのだと思った。現地で暮らす住民たちは、さぞ大変だろう。そして、今回、拘束された日本人たちは、どんな扱いを受けているのだろうか。背後に国家指導部の指示があるとすれば、テープの消去や手土産程度じゃ済まないだろう。同情を禁じ得ない。

尖閣列島(釣魚島)海域で起きた船舶衝突事件で、浙江省杭州の日本人学校が投石され、一方、神戸の中国人学校に爆破予告の電話があった。国家間に緊張が生じると、かならず弱者に嫌がらせする卑怯者が現れる。その現象に国家や民族の違いはない。どちらもなんと下劣な連中だろうか。

領土をめぐる対立は、主権国家が原理的に抱える病気だ。国家の病気に感染して、隣国の子どもたちに投石したり、脅迫したりする、おろかな大衆になりさがるか、国家とは一線を引いて、それを克服する智恵を模索する賢い市民になるかが、二つの国家に跨って暮らす我々に課された課題ではないか。

2010年7月18日日曜日

日本語の何を大切にするのか

Jリーグの川淵さんもアルファベットで書き初めしている。

日曜の朝、母といつものように「サンデーモーニング」を観ていた。風を読むのコーナーで、最近、英語を公用語にする企業が増えてきた現象を取り上げて、日本語の問題を取り上げていた。観ていて、あいかわらずだなあと思った。
国際共通語としての英語は、ビジネスで必要だといいながら、一方で、日本語のすばらしさや固有の価値を説く。日本文化はすばらしい、日本語もすばらしい。この伝統を守れ!と合唱する。
しかし、日本語のどこが固有なのだ。中国語じゃないのか? だって、漢字で満たされているじゃないか。それも漢字が書けないと日本語の能力に欠けるような言い方が大手を振って歩いているじゃないか。
これだけ中国製の文字と表現を取り入れながら、日本文化の独自性と固有性を主張して恥じないというところに、言語ナショナリズムの愚かさがあるのではないか。
言語は、世界各地との文化交流や技術移転、経済支配や交易の中で、融通無碍に変化、発展してきたもので、もともと固有性やオリジナリティなどというものは、希薄なのだ。
日本などは、とりわけそうだろう。中国文明の影響を受けて、模倣と流用を繰り返してきた。その結果が、これほどまでの漢字の重用ではなかっただろうか。
しかし、明治以後の近代化の過程では、ヨーロッパ近代科学や社会科学の概念を漢字熟語に翻訳し、近代化に遅れをとっている中国に輸出したことも事実だ。たとえば、科学、社会、哲学、経済・・・などなど、挙げればきりがない。
日本語の優れた力をあえてあげれば、異種の言語から融通無碍に文字や概念や音を取り込むことができる能力なのではないか。
愚かな本居宣長のような「やまとことば」崇拝思想に毒されず、英語公用語化を受け入れながら、他方で、漢字検定に熱中できる、こういう人びとの節操のないところが、この言語の真の底力なのではないのか。
だとすれば、ひとつ提案がある。1500年前に中国から漢字を輸入し、また、漢字で構成された概念をそのまま借用したように、いっそのこと、外国語の文字と概念とそのまま、原語のまま、原音のまま、日本語の中で使用するようにすればどうだろう。
現在は、外来語という分類を当てられたことばは、カタカナで表記され、原音とはまるで異なった擬音を割り当てられて発音されている。そもそも、中国生まれの漢字を使っていながら、「外来語」などという分類概念を使っていること自体、欺瞞なのではないか。それなら、いっそのこと、しっかりとあらゆる文字と発音を平等に受け入れてはどうだろう。

そうすれば、たとえば、ウィキペディアの以下のような文章

「世界中どこでもマクドナルドやケンタッキー、コカコーラ、ウィンドウズが見られる光景は結局アメリカ国内で見られる文化を他国に輸出しているに過ぎず、「グローバリズム」ならぬ「アメリカニズム」であり、「グローバルスタンダード」ならぬ「アメリカンスタンダード」でしかないと考えられている。地域固有の文化を淘汰する傾向が多いため、左派のみならず、ナショナリストからも批判されている。」

は、こう書くことになる。

「世界中どこでもMcDonald'sやKFC、Coca-Cola、Windowsが見られる光景は結局America国内で見られる文化を他国に輸出しているに過ぎず、globalismならぬ「Americanism」であり、「global standards」ならぬ「American Standard」でしかないと考えられている。地域固有の文化を淘汰する傾向が多いため、左派のみならず、nationalistからも批判されている。」

こうして、漢字だけではなく、アルファベットもアラビックもどんどん取り込んでいく。日本語じゃなくなるって? いや、これこそ生命力みなぎる日本語らしい日本語だといえるのではないだろうか。

2010年6月11日金曜日

小泉進次郎の尻を追うテレビ局は恥を知れ


小泉進次郎が、菅直人の所信表明演説に対して、メディアで発言していた。それも、いっぱしの口を利いて。「またも、トラストミーですか」などと生意気な口を利いていた。
親の七光りがなければ、けっして20代で当選などできなかっただろうこのドラ息子に、メディアは発言させつづけている。たいした意見もないのに、かならずテレビは、この男のコメントを取り上げる。
そうだろう。マスコミ、とりわけテレビ局には、コネで就職した旧政権与党の政治家たちのドラ息子やドラ娘がひしめいているからだ。政権交代後、こういうやつらの肩身は狭くなっただろう。旧与党のコネなど、無意味になった。
こういうドラ息子ドラ娘にとって、小泉進次郎は、希望の星なのに違いない。だから、バカの一つ覚えのように、小泉進次郎に一言しゃべらせたいのだろう。そして、あわよくば、夢よもう一度と、旧政権の復活をもくろんでいるのだ。
いいかげんにしろ。たかだかアメリカに遊学した程度で、国会議員になれるなら、私の周辺には、その程度の資格をもつ有意な若者は五万といる。しかし、彼らは、親の七光りがないために、いまだ就職先さえ見つからずに苦労しているのだ。
小泉の親も親なら、子も子だ。新自由主義の旗を振って、多数の若者を派遣労働に追いやったくせに、自分の息子だけは、世襲の特権を享受させた。その小せがれも、親バカに諾々としたがって、シャーシャーと国会議員のバッヂをつけて喜んでいる。恥を知れ。まともな男なら、親バカを諫めるくらいのことをしろ。
まさに、彼らこそ、コネ万能の不平等社会のシンボルではないか。
こういう政治家には、絶対に二度と議席を与えてはならない。
小泉進次郎に派遣労働の辛苦をなめさせよう。それこそ、今、必要な社会的正義の実践というべきだ。

2010年5月26日水曜日

生豆から入れるコーヒーのもうひとつの楽しみ


 数年前からeカフェというマイクロコンピュータ制御の全自動のコーヒーメーカーを使って、朝、コーヒーを入れている。
 とても優れもののコーヒーメーカーで生豆を上部の穴から入れ、タンクに水を入れておくと、全自動で豆の皮を剥き、ローストし、粉に挽いてくれて、最後に、お湯を注いで、コーヒーを入れてくれる。
 生豆を仕掛けて、コーヒーが入るまでには、10分くらいかかるけれど、その間待つのがまた楽しい。最初、カリカリと皮を剥く音が聞こえてくる。 この音がなかなかかわいい。つぎに、熱が加わって豆がローストされていく。ちょっと香ばしい匂いがしてくる。うっすらとマシンから紫煙が立ち上っているの が分かる。そして、つぎにガリガリガリと豆を挽く音と共に、お馴染みの馥郁としたフレーバーが部屋一杯に広がる。このガリガリ音が終わるや、ボコボコボコ という湯が沸騰する音とともに、熱湯が挽かれたコーヒー豆に注がれて、ガラスのサーバーが褐色の液体で満たされていく。
 これで、コーヒーの一丁上がり。生豆からコーヒーが入れられていくすべての行程を楽しむことができるなんて、本当に贅沢だなあと毎朝思うのだ。
 ただ、問題は、なかなか生豆が手に入らないことである。その辺のスーパーなんかには売っていない。神戸元町まで出かけて生豆を買ってくることも ある。面倒だと思っていたら、最近、あちこちのフェアトレードのNPOが運営するお店で生豆を見かけることが増えた。アフリカやアジアの発展途上国の農家 が栽培したコーヒーが生豆で輸入され、売られている。
 売り上げの大半は、現地の農家に正当に還元される仕組みになっているらしく、生豆を買うことが、途上国の農民に対する支援にもなっているのだ。
 コーヒーは、長い間、植民地の大規模プランテーションで栽培され、世界を股に掛ける巨大企業によって、流通を独占され、プランテーションで働く 農民たちは、ただただ大企業に搾取され、奴隷のように働かされてきた。ブラジル、コロンビア、キリマンジャロ(アフリカ)、トラジャ(インドネシア)など など、名だたるコーヒー産地のほとんどがそのような欧米の多国籍企業による搾取と市場支配の産物なのである。
 これらの企業が、最大の武器にしているのが、ロースト、つまり焙煎の技術だそうだ。生豆は貧しい農民でも作ることが出来る。しかし、それを美 味いコーヒーに仕上げ、先進国の口の肥えた消費者を満足させるためには、焙煎が必要だ。その焙煎工程のノウハウを大企業が独占している。そして、その過程 で、価格は何倍にも、いや何十倍にも、化けるのだ。
 実際、フェアトレードのお店の店頭にならぶ生豆を自宅に持って帰っても、それを焙煎するのは、大変だ。煎りゴマをつくるようには、うまく焙煎 できないから、コーヒーの味も安定しない。失敗すると、飲める代物にはならない。だから、せっかく生豆を買って、途上国の農家を支援したいと思っても、長 続きしない。
 でも、我が家のようなコーヒーメーカーを使えば、苦労なく美味しいコーヒーが生豆から作ることが出来る。
 これって、ずごいことじゃないだろうか。日本中の心ある消費者が、このコーヒーメーカーを自宅に備えれば、途上国の農民の作った豆をコーヒー企 業を抜きにして、フェアトレードを通して、直接、買うことができる。そうすれば、多国籍企業に中抜きされずに代金を現地の農民に渡すことも出来るだろう。 これも、コンピュータの正しい使い方のひとつに違いない。
 そんなこんなで、最近、我が家では、東チモールのコーヒーを飲んでいる。インドネシアの支配からやっと独立を勝ち取った東チモールの農民が 作った生豆。毎朝コーヒーを楽しみながら、生豆を作った農民たちのことを想い、ちょっとした支援ができることのよろこびも噛みしめている。
e-cafeのサイトは

http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/nanbu-coffee.com/g/K122/index.shtml

2010年5月22日土曜日

変貌する京都の中心市街地


 蒸し暑い梅雨の季節がそこまできている。
 昨日は、京都の大学で講義をしてから、烏丸丸太町界隈で飲んでから帰宅した。
 地下鉄丸太町駅から地上に出ると、京都商工会議所のビルの一階はカフェになっていて、美味しいアールグレーをポットで飲ませてくれる。そこでいつも大学同窓の悪友(本人は紳士だと自称しているのだが)と待ち合わせをして、近場の居酒屋に繰り出す。昨夜もそうだった。
 最近は、四条河原町界隈に出ないで、烏丸丸太町界隈で飲むことが多くなった。というのも、京都も、中心市街地は、もうまったく古都の風情はなくなってしまい、カラオケ、風俗、パチンコがところかまわず氾濫して、まるでススキノみたいになってしまったからだ。
 昔よく通っていたミューズというクラシック音楽喫茶店が木屋町にあったが、そこが焼き肉屋に変わってしまい、高瀬川ぞいにあった、凝ったカクテルを飲ませてくれるショットバーの錦は、もつ鍋屋になってしまい、洋書店 の丸善ビルは、ジャンカラのカラオケビルになってしまった。その周辺に虫食いのようにファッションヘルスの風俗店が進出して、黒服が客を引くようになっ た。
 不況なんだろう。高いテナント料を払えるのは、手っ取り早く稼げる風俗店だけなんだろうか。風俗店が進出すると、小路全体の雰囲気がどっと品が悪くなってしまい、せっかくそこに素敵なおばんざいを食べさせてくれるようなお店があっても、よりつく人はいなくなってしまう。
 悪貨は良貨を駆逐するというわけか。もう京都の中心市街地は、凋落の一途だと思う。雰囲気が殺伐として、荒廃していくのが止まらない。
 それを象徴するように、阪急百貨店の四条河原町からの撤退が決まった。撤退のニュースを聞いて、みんなびっくりしているが、わたしは驚かなかった。というのも、阪急百貨店の周辺の小路は、もうすでに風俗店ばかりになっていたから。
 そんなところで高級雑貨は売れない。
 今のところ、風俗店は鴨川を越えて祇園側までは進出していないようだ。しかし、川を越えるのは時間の問題だろう。そうなれば、歌舞伎の南座は、深刻なイメージ劣化を被るだろう。そのうち、移転するなんて話も出るのかも知れない。
 一方、丸太町や今出川界隈には、たくさん町屋が残っていて、その風情を生かしたレストランや料理屋、小物を売るショップが増えてきた。古い町屋 を上手に改造して、京都らしさを演出していて、なかなか楽しい。中心市街地が荒廃していくのと対照的に、歩いていても楽しい、新しい京都がこの界隈に生ま れつつあるように思う。
 地下鉄が京都駅から烏丸通りを北に延びたために、人の流れが、烏丸丸太町や烏丸今出川など北に向かいつつあるように思う。それに対して、旧中 心市街地の四条河原町界隈は、京都駅から直接アクセスできなくなった。かつては、祇園、木屋町、先斗町を後ろに控えて、阪急電車の終点として栄えた四条河 原町界隈は、世紀を超えた時点で、確実にその繁栄に終わりがきたように思う。
 千年の古都も激変しつつあるようだ。
(写真は商工会議所1階のワールドカフェ)

2010年5月11日火曜日

新しい革袋に古い酒〜日経Web刊のTVCM


日経WEB刊の創刊を告げるテレビCMが流れている。そのうちの一つに鼻白らんでいる。どんなCMかといえば、そば屋で課長さんがWEB刊で油田を発見して、そのまま、ドバイに飛んで、アラブのどこかの王室の皇太子然とした男と油田の共同開発事業で握手している、そんなCMだ。

みていてガックリである。いまさら中東の石油はないだろう。炭素エネルギーから脱炭素エネルギーへの革命的な転換が世界中で進行している時代に、中東に飛んで、よりにもよって、旧世紀の寡頭政治の遺物のような人物と握手するのが、このWEBメディアの効用だというのである。

ネット戦略で大統領になったオバマは、指名受諾演説でこう宣言した。
「アメリカの経済、安全保障、そして、地球の将来のために、10年以内に、中東からの石油に対する依存を終わらせます」
ネット時代の大統領にふさわしい宣言だろう。

それと比べて、日経WEB刊がWEBを使った新しいメディアだというなら、今更、中東の石油に色目を使うCMはなんとも陳腐ではないのか。

「新しい革袋には、新しい酒を」である。新しい革袋に古い酒しか入っていなければ、誰も飲みはしないだろう。こんな発想のCMでは、このメディアの将来もその程度のものでしかないのだろうか。

2010年3月28日日曜日

多文化の街づくりを長田から世界へ・ネットラジオの外国語番組で


27日土曜日の夜、久々にラジオの英語番組に出演した。神戸・長田のコミュニティFMラジオ局FMYYで夜8時から放送しているSoundwaveという英語番組。
阪神淡路大震災以来、神戸に住む在日外国人コミュニティと被災市民がいっしょになって立ち上げた多言語放送局であるFMYYが、震災後15年の経 験をもとに、多文化の街づくりを進めてきた神戸の経験をまとめた英語版の冊子を出版し、同時に、それを特別番組として放送したのだ。その出版を進めるプロ ジェクトの代表ということになっていて、昨夜は、その特別番組にゲストとして出演した。番組はFMの電波と同時に、インターネットラジオ番組としても放送 された。
英語番組に出るのは、何年来のことだろう。昔、文部省の研究所で研究員をしていたとき、太平洋の島々やニュージーランド、オーストラリアなどを 回ってメディア教育の調査をしていたとき、ニュージーランドやフィジーのラジオ放送局にゲストで出演したことがあった。以来、番組出演はテレビもラジオも いろいろとあったけれど、英語番組は久しぶりだった。
だいだい英語で話すと話が長くなる傾向があった。語彙が足りないところに、日本語みたいに早口に話せない。で、勢い説明的になり話が長くなる。 話すと止まらなくなる。局のスタッフからは、簡潔に話してくださいと言われていた。そこで、スタジオに入る前にメモを作って簡単に話をまとめておいた。
ところが、スタジオに到着してみると、担当の番組が終わった連中がスタジオの下にあるバーでワインやビールで楽しくやり始めていた。「やー、土 曜にお越しなんて、おめずらしい」と見知った顔に声を掛けられ、駆けつけ3杯と、ワインをグラスに3杯飲んだ。それで勢いがついて、生放送が始まる午後8 時までには、もうすっかりできあがってしまった。
気がつくと、もう8時。これじゃまずい、と思う間もなく、スタジオに連れて行かれ、番組が始まってしまった。ところが、しずかなスタジオに入ると、突然、眠気が襲ってきた。
番組の進行役のエド君の声が、また城達也なみの低くて、ささやくようないい声。あぶない!もうまったく眠ってしまいそう。ガクッと一瞬意識が飛んで頭がのけぞった。すかさず、ディレクター役の吉富さんが脇腹を突っつきに飛んできた。
そんなこんなで危なかったが、それでも、まあメモを頼りに言いたいことはしゃべり、なんとか1時間の生放送は終わった。いただいた出演料は、すべてその夜の内に、スタッフといっしょにアルコールとなって消えた。めでたし、めでたし。
番組は、ポッドキャストでも聴くことができる。
http://www.tcc117.org/fmyy/20100327_soundwaves.mp3
それにしても、聴いてみて気がつくのだけれど、わたしの英語は、ホントにハワイなまりのピジン英語だと思う。ハワイのおばあちゃんたちに知らせたら、「おまえもすっかりロコ(ハワイ育ちの土地っ子)になったねえ」と言われるかもしれないなぁ。

2010年3月22日月曜日

非実在青少年の性表現規制のおろかさ

ベティーだって体型は幼女だろう?

 あまりに愚劣な表現規制をもくろむ条例案が石原東京都政の下で進行しつつある。
 児童ポルノに対する規制を逆手にとって、表現に対する規制を実現しようという魂胆がまず醜い。そもそも児童ポルノに対する規制は、児童がポルノグラフィーのモデルにされたり、撮影を強要されたりすることによって広義の性産業に搾取されることを防止するために進められてきた政策である。そこには搾取される実在の児童があり、侵害される人権がある。
 ところが、非実在青少年には、そもそも実在していないのだから侵害される人権がない。名探偵コナンのアニメで非実在の人物が殺されたからといって、非実在人物に対する人権侵害があるとして、アニメが処罰の対象になるのか。あまりにも、ばかばかげている。
 日本のアニメ芸術は、歴史的にみれば、絵巻や浮世絵など日本特有の描画芸術に深く根ざすものである。それらの伝統芸術は、性描写を不可分にその重要な構成要素として含み込んできた。歌麿の美人画は、あぶな絵(春画)を抜きにしては、その表現の全体をとらえることはできない。あの綿密で官能的な性描写が、歌麿にその芸術的達成をもたらしたといってよい。
 今日のアニメ文化においても、同様だ。宮崎駿のような衆人から等しく評価をえるようなアニメ文化も、他方で目を覆うような性表現が等しく存在することによって、総体としてのアニメ文化に血と肉が与えられている。
 実際、猟奇的な性表現を生産し続けるプロダクションで、現代のあぶな絵を作画し続けるアニメーターたちが、その一方で、文科省が特選にするような作品の重要な作画作業の一部を担っているということに、気付くべきなのである。
 アニメ文化の振興といって、アニメの殿堂のような愚劣な箱物を作ろうとする愚劣にようやく終止符が打たれようとしたと思ったら、今度は、逆の規制が登場してくる。いい加減にそういうお節介は止めにするべきだろう。
 他方、多くのアニメーターたちが生計のためにポルノグラフィーに手を出している。かれらに現代のあぶな絵を描かせたくないのだったら、彼らにもっと仕事を発注してやればいいのだ。もちろん、それでも描きたい絵師たちは、かならず残るだろう。しかし、今日のようにポルノアニメが氾濫するような状況とは、もうすこし異なった事態が出現するに違いないだろう。
 日本の役人のやることは、またしても、かくのごとく愚かだ。
 

2010年3月6日土曜日

自分の趣味に子どもを巻き込む親〜日産セレナのCM

 日産セレナのCMは、嫌いだ。
 最近流行のボルダリング(岩登り)に親がはまっているのは、まあ個人の趣味だから、何も言うつもりはない。でも、このCMに登場する親は、本当に罪作りだ。
 子どもを自分の趣味に巻き込んで、岸壁を登らせる。ところが、子どもは途中で怖くなって、立ち往生してしまう。それでも、親は叱咤激励して、最後まで登らせる。子どもには、選択の余地がない。親が命綱を握っているからだ。そして、登り終えたところで、子どもは泣いてしまうのだ。それを親はうまくなだめたのだろう。最後に、笑顔が戻って、めでたしめでたし、というストーリーだ。
 しかし、こんな残酷で、身勝手な親心はない。
 子どもは、親が褒めてくれたり、関心を持ってくれたり、喜んでくれたりするのに敏感だ。本当は、そんなことをしたくなくても、親の顔色を読んで、親の先回りをする。きっとこの子も、親の趣味に付き合わされているだけなのに、自分もやりたいと言わされたのだろう。身勝手な親は、子どもが自発的に選択したのだという言い訳を自分に信じ込ませ、子どもを岩登りに追いやったに違いない。途中で、恐怖に怯える子どもにも、お構いなしの親。それを、試練への挑戦だとか、適当な言い逃れをして、最後まで、やらせる。やらせたいのは、親のエゴだ。子どもは、親の願望に、必死になって答えようとしているだけではないか。
 こんなCMは、大嫌いだ。だいたいワンボックスカーなんて存在自体が、子どもに対する親の家族サービスという大きなお世話の代名詞みたいなものだ。子どもなんて、子ども同士つるませて、その辺の路地裏や公園にほったらかしておけばいいのだ。
 と気がつくまでには、私も、同様のことをたくさんやってきた。だって、かくいう私も、かつてセレナに乗っていたからだ。気付くのが遅かった。
 

2010年2月22日月曜日

バンガロール、三輪タクシードライバーの友情


 イスタンブールのあと、19日から南インドのバンガロールで開かれている国際会議に出席している。バンガロールは、インドのシリコンバレーとも呼ばれ、IT関連の工場や企業が急速にその数を増やし、成長するインドの核だと聞いていた。どれだけインドが変わったのだろうかと考えていた。ものすごい数の人間が殺到し、その勢いにもみくちゃにされ、しかし、すべてが混沌としていて、何事をするにも一向に埒があかない。そんなインドのイメージが、私にはあったからだ。それが、バンガロールでは変わったのだろうか。
 着いてみると、たしかに、空港の前には、整然とエアポートタクシーが列を作って客を待っていた。雲霞のような人間の群れに取り囲まれてしまうようなことはなかった。空港から街への高速道路には、巨大な広告塔が建ち並び、タクシーは快適に広々とした舗装道路を疾走した。「たいしたものだ」と思った。
 しかし、ひとたび街に入ってみたら、そこにはあのインドが待っていた。
 夕食を食べようと会場からレストランに向かうのに、三輪タクシーを探した。一台のタクシーの運転手がすかさず寄ってきた。タクシーにはメーターが付いているが、動いていなかった。いつもの交渉が始まった。運転手氏は、50ルピーだといった。
 「よかろう」と乗り込んで走り出すと、途中で、「あのレストランはまだ開店していないから、自分が懇意にしている土産物店に寄っていこう」と言い出した。もちろん、土産物店で斡旋料を稼ぐための常套句。「まっすぐにレストランに行ってくれ」といっても、もうまったく聞く耳がない。すると、突然、車を停めて、ここから先は行かないと言い出した。50ルピーじゃ安すぎるというのだ。おいおい、さっき自分で言い出した料金だろう。今更何を、と思っていたら、「店に寄らないなら、追加料金100ルピーを払ってくれ」と言い出した。
 ほらきた。やっぱり。それだったら最初からそう言えばいいだろうに。50ルピーなんて適当なことをいわなければよかったんだ。私にしてみれば、もともと三輪タクシーは格安の交通手段だと思って使っているのだから、阿漕に値切ったりする趣味はない。50でも150でも、かまわなかったんだ。それより、こういう面倒くさいことに巻き込んでくれるなよ。そう言いたかった。
 タクシーを停める。行き先を告げる。メーターを倒す。走る。到着して、メーターが示す料金を支払う。どうしてこう行かないんだろうか。もうまったく、何にも変わっちゃいない。なにもかもが混沌としていて、埒があかない。何が起こるか分からない。そういうインドがそこにはあった。
 「どこがシリコンバレーなんだ」と呆れると同時に、なぜか納得している自分がおかしかった。
 しかし、レストランからのホテルへの帰路、思わぬ出来事に遭遇した。横を走っていた仲間の三輪タクシーのブレーキが突然故障したのだ。助けを求める声を聞いて、私の車の運転手はすかざす自分の車を停め、仲間の車に飛び移り、素手で車を停めにかかったのだ。彼一人ではなかった。数人の運転手たちが、同じ行動を咄嗟にとった。そのお陰で、車は無事に停車し、事故は未然に防がれた。停めに入った運転手の中には、あきらかに腕や脚を痛めた者もいた。しかし、仲間を救うのに、だれも躊躇する者はいなかった。
 彼らが見せた仲間同士の強い絆に私は胸を打たれた。日本でなら、誰がそんなことをしてくれるだろうか? 誰が自分の危険をかえりみず、仲間を助けに飛び込んでいくだろうか? いや、最近の日本にもそういう光景はあった。阪神淡路大震災のときの神戸の市民たちが確かにそうだった。しかし、日本では、大地震でも起こらない限り、そういう光景はみられない。
 ところが、ここでは、日々の労働の中で、人びとはきちんと絆を結んで暮らしている。そんな見上げた男たちの姿がそこにあった。
 インドのシリコンバレーと呼ばれるようなったことの徴か、街には、バイクに幌を付けただけの旧式の三輪タクシーを追い抜いて走る、小洒落たコンパクトカーの姿が目立つようになっていた。いずれ三輪タクシーの姿は消え、小型車のタクシーに変わられていくのかも知れない。しかし、その中で、あの運転手たちが見せた厚い絆は、残っていくのだろうか、それとも失われてしまうのだろうか。
 私たちの社会が経験した経済成長の結末から想像すれば、その答えは、およそ見えている。近代化と経済成長が人間の紐帯を壊していくのだ。そして、人びとはそれを嘆き、「こんなはずじゃなかった」と自問することになるのだろう。
 三輪タクシーの運転手諸君、どうかその絆を失わないでほしい。そういう思いで一杯だった。
 降り際に運転手氏の勇気と友情をたたえて私がはずんだチップに、そんな願いが込められていることを運転手氏は気づいてくれたかどうかは知るよしもないが。

2010年2月17日水曜日

トプカプ宮殿のハーレムの鉄格子とお風呂の関係



 イスタンブール滞在中。博物館通いの毎日。
 トプカプ宮殿も、今では博物館ということで訪ねてみた。たくさんの人びとが訪れていた。中でも人気は、財宝展示とハーレム。ハーレムは観光客の妄想的好奇心をくすぐるので人気なのだろう。足許を見て別料金になっている。
 解説では、ハーレムには、300人もの女性がいたそうである。それらを黒人宦官が仕切っていたとのこと。
 スルタンが崩御すると、これらの女たちは全員「嘆きの家」と呼ばれる宮殿に移され、次のスルタンが即位すると、その母だけがトプカプ宮殿に戻る権利があったのだそうだ。そして、スルタンに即位した皇太子以外のすべての兄弟は、オスマンの掟に従って殺されたそうだ。しかし、皇太子たちが子どもだったりして、それはなんでも忍びないということで、掟は改められ、全員はハーレム内に幽閉されることになったとのこと。
 幽閉と言っても、お妾だけは何人でも持てたらしく、100人を超えるようなお妾たちが、幽閉された元皇太子たちを慰めたとのことだった。
 しかし、彼女たちは、妊娠すると密かに宮殿から連れ出されボスフォラス海峡に沈められたという。血統を単一に保持するための掟だったのだろう。
 ハーレムに幽閉された女たちの生活は想像すべくもないが、窓には美しく金色に装飾されてはいるが頑丈そうな鉄格子がはめられ、その一方、幽閉の気晴らしのためか、ゆったりとして豪華な風呂場が設けられていた。鉄格子と豪華な風呂場。
 自由と快楽との取引は、いつの世にも、究極の選択を人生に迫ってくる。

2010年2月3日水曜日

映画「おとうと」を観た

画像:公式サイトより
http://www.ototo-movie.jp/

 「おとうと」を観た。
 山田洋二の映画は、けっしてストーリーのリアリズムではない。彼のリアリズムは、小道具、大道具などセットのリアリズムだ。そう改めて思った。 「男はつらいよ」も同様である。ストーリーは荒唐無稽だけれど、役者たちが演じる背景の空間の描写はみごとにリアルだ。(ただし、とらやは、1960年代 で時間が止まっているのだが。)家屋、生活財、服装などなど、みごとに登場人物の社会階層やライフスタイルに適合している。映画の1カットをスチル写真にすれば、ドキュメンタリーと見まがうだろう。
 たとえば、弟が借りた借金を姉が肩代わりして返すシーンで、吉永小百合が演じる姉が、虎の子の預金をおろしに行くシーンがある。何度も出し入 れしたような角のとれた通帳、取り立てに来た女のヒョウ柄のスカートとケミカルシューズのパンプス、返済を確証するために、記入を求める領収書の、半分以 上切り取られて耳が残ったつづり。細部にまできちんと的確に考証が行き届いていてリアルだ。現実離れしたおとぎ話のようなストーリーと対照的な、このモノ的世界 のリアリズムに、観客はまるでそれが現実に起こっているかのような錯覚に誘い込まれる。
 私が、山田の作品が好きな理由は、まさにその点だ。山田とそのスタッフたちの社会を観察する目の確かさを感じる。「おとうと」でも、そのモノ的リアリズムはきちんと生きていた。
 ところで、ストーリーについてひとつ感想を述べたい。映画では、姪の結婚式で、鶴瓶演じるおっさんが、酒を飲んで演歌を歌ったり、応援団のまねごとをしてはしゃいだりする。これが出席者からひんしゅくをかって、披露宴がぶちこわしになるという設定になっている。
 しかし、関西の結婚式では、この手のおっさんは五万といる。ごく見慣れた風景だ。実際、自分の経験を振り返ってみても、その位の事態はありふれた出来事だった。(何を隠そう、私の指導教授がこの手のおっさんなのだ)
 もしこの程度のおっさんが許容できないというなら、東京はけっして大阪を受容できないだろう。つまり、これは、こまった弟を持つ真面目な姉の物語というより、大阪人を永久に理解できない東京人のカルチャーショックの物語といえるのかもしれない。

2010年1月31日日曜日

赤穂の牡蠣ざんまい


 大学院の長谷川さんの赤穂のご実家から牡蠣をいただいた。それもぷっくりと太った大きな牡蠣。お母さん、本当にありがとうございました。
 で、週末の土曜日、下宿暮らしの長谷川さんを招いて、その牡蠣を料理して摂取することになった。
 まず、牡蠣フライ。それにリースリングの白ワインを合わせる。牡蠣の食べ方としては、単純なフライが一番美味しいのじゃないかと思う。
 つぎに、牡蠣なべ。他の魚はつかわず、白ネギと豆腐が炊き上がったところで、その上に菊菜の布団を敷いて、そっと牡蠣を並べて蓋をする。後は一 煮立ちさせるだけ。ポン酢と京七味でふーふー吹きながら喉に滑り込ませる。ここで、米沢で買ってきた純米吟醸「東光」のよく冷やした一杯を合わせる。
 そして、最後に、若い長谷川さんの食欲を満たすための一品。牡蠣のお好み焼き。キャベツは使わず、なべに使った白ネギの残った青味の部分を刻んで小麦粉とあわせ、オリーブオイルが煙を上げ始める直前のフライパンに一気に流し込み、その上に牡蠣を並べて、すこし水どき小麦粉を絡ませ、数回ひっくり返して焼き上げる。これには、ビールが合う。牡蠣三昧である。
 さて、最後のお好み焼きを作ろうとネギを刻んみながら、なお、それでも残る牡蠣をどうしようかと、酔っぱらった頭で考えていた。翌日、牡蠣ご 飯にしようか、いやそれとも、雑炊に入れて食べようか。そのとき、酔いであやしくなった手元が狂って、指先に包丁が入って、ざっくり切ってしまった。痛いこと、痛いこと。それでも、まだ酔いはさめやらず、お好み焼きを食べ終えた後、すぐに沈没してしまった。
 長谷川さんは、いつ帰ったのだろうか。まあ、よくあることで、彼も心得ていて、タクシーを自分で呼んで帰っていったらしい。ひどい話である。お許しあれ。
 それにしても酔っぱらいながら包丁を握るのは禁物。指先のバンドエイドが今年の牡蠣三昧の名残になってしまった。

2010年1月27日水曜日

内舘牧子のもう一つの短慮〜土俵女人禁制の言説をめぐって



 内舘牧子氏が横綱審議会を満期退任する。メディアは、朝青龍に対する彼女の厳しい舌鋒を回顧して、彼女の伝統を守る姿勢を肯定的に評価した。みのもんたの「朝ズバ!」(20/1/26)でも、特集を組み、その中で、相撲評論家で元NHK相撲中継アナウンサーの杉山邦博氏を電話でつなぎ、彼女の伝統死守の姿勢を高く評価させていた。そのとき、杉山氏は、勢い余ってというか、むしろ確信犯的に、相撲協会が大阪府太田房江元知事に対して土俵立ち入りを拒否した事件を取り上げ、土俵を神域として女人禁制を墨守する協会の論理を支持する言論を展開した内舘氏を絶賛した。
 神域における女人禁制を日本文化の伝統であるかのような錯覚をまたまたメディアを通して人びとに刷り込んでしまった責任は重いし、その原因となった内舘氏の錯覚も同様の責を負うべきだろう。

 ここで、「女人禁制という伝統」について再論しておきたい。
 まず、その女人禁制という慣習を「伝統」であると仮定したとして、それが墨守しなければならないものであるかどうか、リアルな議論から始めよう。
 たとえば、かつて近世において女人禁制を慣習的に維持してきた神社の多くが、すでにその慣習を棄て、女性の入域を認めている事実がある。そもそも、明治政府は、1872年に太政官布告第98号「神社仏閣の女人結界の地廃止・登山参詣自由たるの件」で、女人禁制を基本的に解除している。
 しかし、今日、多くの神社が女人禁制を解いている最大の理由は、氏子組織の弱体化によって、女性労働の支えがなければ、境内の清掃や建物の維持管理などが出来なくなっているからである。いくら「民族の伝統」と叫んでみても、実際に男手が足りなくなると、いずこも平然と女性に門戸を開いてきたのだ。これは、男性労働が不足する戦時下で、女性の社会進出が増進するという世界のどこにでも見られる現象と同じ根をもつ。この事実は、女人禁制などという慣習は、伝統でも何でもなく、男社会の身勝手な女性差別でしかないことを裏付けている。
 鎌倉仏教が、当時の伝統仏教に対して、女性の極楽往生を説いたとき、旧仏教の多くが、負けじと女性極楽往生を認め始めた。その際、どんな法理を展開したかと言えば、死に臨んだとき、仏の法力によって女性を男性に転換することで極楽往生できると説いたそうである。ようするに、組織に翳りが見え始め、危機感を持った旧仏教勢力は、女性を取り込もうと屁理屈を考案したのだ。
 しかし、考えてみれば、宗教にかかわる論理というものは、いつでもそのようなものである。現実の要求を満たすために、教典や神話の故事を引きあいに出して、合理化の限りを尽くすのだ。それが、だから悪いとは思わない。むしろ伝統というような面倒くさいものを扱うときには、そういう屁理屈や柔軟思考があった方がよいのである。

 さて、それでは、女性が土俵に立ち入ってもかまわない理屈をどう構築するのか。相撲協会のために私見をひとつ示してみたい。
 それは、記紀の故事を引いて合法化するというやり方である。たとえば、女性を男性に扮装させて、相撲の神々をたぶらかして、女性を土俵にあげてしまうという手はどうだろうか。日本書紀をみると、女神であるアマテラスは、父イザナギから追放された弟スサノオと対面するとき、弟が自分の国を奪おうとしているのではないかと疑念を持ったため、完全武装し、「御髪を解きて、みみづらに纏きて」つまり男の髪形をして男装で弟を迎えている。
 その神話の故事をひいて、女性が土俵に入域するときは、アマテラスを招魂し、男装の儀礼(たとえば、「みみずら」つまり
髮を左右に束ね、耳の上でまとめる)などの儀礼を済ませて、相撲の神をたぶらかして、土俵に上がっていただければいいではないか。
 この際、「たぶらかし」は姑息だといってはならない。日本書紀では、天の岩戸に隠れてしまったアマテラスをスサノオたちが宴会を開いてたぶらかして天の岩戸を開かせたではないか。これもいわば日本の伝統であろう。意表を突く「たぶらかし」攻撃は、真珠湾で山本五十六もやったのだから。
 伝統は変えてはならないものではない。もともと伝統というものは、実に融通無碍に時代に沿って変化してきたのだ。カルチュラル・スタディーズ派の「発明された伝統」の概念を持ち出すまでもなく、伝統には、それ自身を変えるためのシステム(論理と形式)が内部に組み込まれているものだからだ。
 私が言いたいことは、こういうことである。相撲界は、記紀神話の論理と方法にのってとって、女人禁制などという差別的慣習と決別すべきなのである。それが、できないというのは、伝統に従っているのではなく、不都合な慣習を変えてゆくための伝統の力を失った、あるいは、神話的創造力を失った相撲界全体の衰退以外の何物でもないということである。
 声高に伝統回帰を説く前に、そのことを内舘氏や杉山氏は肝に銘じてほしい。
 

2010年1月25日月曜日

台北の故宮博物館は人だかり


 週末、かつて中央大学で教えた卒業生たちと台北旅行をした。改修が完了した故宮博物館を訪ねるのと、美味しい中華料理を食べようというもくろみだった。 卒業生たちは、就職して今が一番こき使われている年代になっている。週末を休むだけでも大変だったに違いない。でも、故宮博物館のフェロモン(というより、やっぱり中華料理のフェロモンかもしれないが…)には負けて、時間をやりくりしてやってきた。

 台北は雨だった。でも、乾ききった日本からやってきた我々一行には、うれしいうるおいだった。博物館にいくのだから、とりあえず天候は関係が薄い。
 そんなわけで、土曜日の午後から故宮博物館に出かけた。MRTを士林で降りて、駅前からタクシーを拾い、博物館に乗りつけた。改修前とくらべてどう変わったのだろうか?興味津々だった。
 誘導路にしたがって大きな地下バスターミナルにタクシーは導かれていった。到着してびっくりした。エンジン音を唸らせた大きな観光バス が数珠つなぎで何十台も停車していた。そこから大量の人びとがはき出され、陸続と博物館に吸い込まれていく。よくみると、小旗をかざした添乗員らしき人に 率いられ、共通の帽子やワッペンをつけた観光客たちだった。20名程度ずつに群れとなって、大声や嬌声を発しながら、わいわいがやがやと楽しそうである。どこかの宴会場かお祭りに出かけるような雰囲気だった。おそろいの帽子に染め抜かれた文字を読んでみると、彼らは大陸中国からやってきた団体観光客だとすぐに 分かった。ものすごい数なのである。

 わたしたちは、ようやくその隙間を縫って、入場を果たした。しかし、博物館の中は、人びとの群れで騒然としていた。卒業生たちは、びっくりしていたが、私は、これとよく似た景色を突然思い出した。「そうそう、思い出した、思い出した。モナリザ展、いや、大阪万国博覧会、いや上野動物園のパンダ」 高度成長期の日本に彩りを添えたあの一大文化イベント。展覧会。世界の珍品を一目見るために、大量の日本人が長蛇の行列を作って詰めかけた。鑑賞すること ではなく、行列に参加することに意義があるとでもいうようなイベントだった。
 それと同じ頃、豊かになった日本農村から農協と呼ばれる団体旅行が同じような勢いで海外に向かった。かれらに海外で出会ったことはさいわいなかったが、きっとこんな風景だったに違いない。それは、豊かになったよろこびを全身で表現し、確認する重要な通過儀礼だったに違いない。

 今、大陸中国から同様に、圧倒的な数の観光客たちが台湾に押し寄せているのだろう。言葉が通じるし、旅費もそんなにかからない。それに、国民党と共産党の内戦時、北京の紫禁城から蒋介石が運び出した清朝の財宝や文化財が、ここ、台北の故宮博物館にごっそりと展示されているのである。これを見ない わけにはいかない。戦後の長い低迷期を脱して、ようやく手にした豊かさである。回復した自信は必然的に偉大な中華文明の再確認に人びとを向かわせるのだろう。凱旋パレードのような晴れがましさを満面に浮かべて、人びとは陽気なこと騒々しいこと。

 しかし、やっぱりここは博物館である。もうすこし、観覧のマナーは向上してもらいたいなあとも思った。走り回る、大声でしゃべる、携帯電話を掛 けまくる。もっとびっくりしたのは、大きな山水画を鑑賞するために、一歩後ろに下がった私の前にできた隙間に、あっという間に、何人もの人びとが割り込ん できたことだった。それも一度ではない。何度も何度も。これでは絵画全体を鑑賞できやしない。要するに、美術作品を鑑賞するためのプロトコルがまったく身 についていないのだ。
 隙間には割り込むべしというのは、不足がちな生活物資を手に入れるときに自然と身についた所作なのかもしれない。戦後中国の庶民生活史を思うと、それも仕方ないのかもしれない。でも、ここは博物館。美術品は逃げていかないのだから。
 しかし、かれらが美術鑑賞のマナーを身につけるのに、そう時間はかからないに違いない。かつての日本人がそうだったように。

 ただ、以前の故宮博物館にはもうすこしゆとりがあり、展示された文物の品格の高さが醸し出す気品と緊張感があったように思う。しかし、もうあの故宮博物館は戻ってこないだろう。だって、発展する大陸中国では、ここを訪れようと13億の人びとが列を作って待っているに違いないから。
 大陸からやってきた観光客たちのよろこび一杯の表情を心から祝福するとともに、失われた博物館の凛とした緊張感と気品を懐かしく思った。

2010年1月20日水曜日

認知的不協和理論でみる小沢政治資金問題とテレビ


                     写真:レオン・フェスティンガー
心理学者のフェスティンガーの有名な認知的不協和理論によれば、人間は自身の中で矛盾する認知を同時に抱えたとき、それを解消するために、態度や行動を変えるといわれている。
たとえば、トマトが嫌いだった男が、恋人の彼女と食事に行った。すると、彼女はトマトが大好きだといって、トマトサラダを注文した。そのとき、その男は、認知的不協和の状態になる。彼女がトマトを嫌いなら認知的不協和は起こらない。認知的不協和は、男の好きな彼女が、男の嫌いなトマトが好きという矛盾した状況になってはじめて起こる。そして、その男は、認知的不協和を解消するため、態度や行動を変化させる。つまり、好きな彼女が好きなんだから自分もトマトを好きになろうとしてトマトを食べる。あるいは、自分の嫌いなトマトを好きな彼女なんて大嫌いだといって、彼女と絶交する。どちらの行動をとるかは対象に対する愛着の程度で変わる。彼女に対する愛着がトマトに対する嫌悪より強ければ、男はトマトを食べるだろうし、トマトに対する嫌悪の方が強ければ、彼女を振るだろう。
最近のメディアと新政権を見つめる人びとは、まさにこの認知的不協和の状態にあるといってもよいだろう。
国民の圧倒的な支持によって誕生した新政権が小沢氏の政治資金問題でメディアに攻撃されている。検察の捜査にはあからさまな政治的な意図がありそうだ。しかし、メディアは検察の情報操作に同調して、一方的に新政権を攻撃しているようにみえる。

支持する新政権をメディアが攻撃する。このとき、国民は認知的不協和を避けるために、つぎのような行動をとるかもしれない。つまり、新政権への愛着を維持するために、新政権を攻撃し続けるメディアを嫌いになって、ニュース番組を見なくなる。あるいは、テレビに対する愛着を棄てきれず、新政権に対する支持を棄てる。
人びとは、どちらの行動を選択するだろうか。テレビ中毒の状態にある人ほど、テレビに対する愛着を棄てきれずに、メディア報道に引きずられ、新政権に対する支持から離れるだろう。しかし、メディアに対する高いリテラシーをもっていて、普段からテレビ報道に対する批判性を高めている人ほど、新政権に対する支持を維持し、逆に、テレビから遠ざかるだろう。
今回の小沢政治資金問題がメディアで騒がれるようになったとき、人びとは、これまでにない反応をした。つまり、小沢問題をワイドショーが取り上げると、視聴率が下がったのである。また、世論調査では、小沢氏に対する不支持率と民主党に対する不支持率とはかならずしも連動しないという傾向が現れた。
私は、この傾向を読んで、国民のメディアリテラシーの水準が上がったという感触を得た。そして、そのことを『週刊金曜日』に寄稿した。
しかし、その記事が活字になるまでの間に、メディア、とりわけ既存の新聞と地上波テレビのさらなる小沢攻撃で、国民の政権支持率は下がり始めた。
ようするに、新政権を支持していた多くの人びとは、認知的不協和を避けるためにテレビを見ることからいったんは離れたものの、やはりテレビなしの生活にはお手上げで、テレビにもどってしまったのだろう。そして、新政権を攻撃するテレビを受け入れる以上、認知的不協和を避けるために、逆に新政権を支持しなくなったのだ。まあ、現状なら、そういうことは起こるだろう。人びとのテレビ中毒が、その原因である。

私は、この際、人びとがとる二つの選択肢があると思う。
ひとつは、そのままテレビのない生活を続けるという選択。私は仕事柄テレビはよくチェックしている。しかし、私の友人たちには、テレビを見ない生活を選択した人びとが結構多い。とくに高学歴で高収入というタイプの人びとに多い。これからのエリートはテレビ離れが進むのだろうという予感を彼らの存在は抱かせる。
もうひとつは、地上波テレビ以外のメディアへの接近をはじめる機会にするという選択である。今回の小沢問題でも、ネット系ジャーナリズムは当初から検察の動きに、きな臭いものがあることを報道していた。また、地上波テレビでは歯に衣を着せたような中途半端なコメントしか出さなかったリベラル派のコメンテーターも、衛星系のテレビ局やラジオでは、はっきりと検察批判をしゃべっていた。すくなくとも、地上波テレビと既成新聞メディアをやめて、オルタナティブなメディアに接近すれば、認知的不協和を避けることはできそうである。
実際、地上波テレビは、もはや斜陽産業である。広告収入は平成19年以来減り続けている。ネット広告が伸び続けているのと対照的だ。地デジ化によって、この傾向はいっそう進むだろう。地デジ化によって、あきらかに総視聴者数は減少するからだ。パイの小さくなった地上波テレビに、これまでと同額の広告料を支払うスポンサーがあったら、バカである。
今回の小沢問題で現れた微妙な視聴者とマスメディアとのずれは、これからますます大きくその亀裂を開いていくことだろう。マスメディアが変わらなければ、その末路はそう遠くないに違いない。

2010年1月19日火曜日

ロンドン・イーストエンドのうなぎ料理




 先日、久しぶりに鰻の蒲焼きを食べた。ご飯にたっぷりと醤油たれがかかって、その上に、鷹揚に寝そべっておられる鰻の蒲焼き様を一礼遙拝をして摂取申し上げました。美味しかった。
 やはり、鰻は、かくあるべしという味だった。でも、それは私が日本人だということに過ぎないのかも知れない。というのも、昨年の秋、ロンドンのイーストエンドで食べた鰻料理のことを思い出したからだ。
 テムズ川べりに栄えた労働者街であるイーストエンドに、ロンドンっ子が好んで通う伝統のうなぎ料理を食べさせる店があると聞いて、ロンドン大学院 生のN君に探してもらった。首尾良くみつかったとメールが入り、滞在中、時間を作って行ってみた。期待に胸が膨らまなかったといえばウソになる。
 地下鉄を乗り継いで、そのお目当ての店に出かけていった。グリーンの日よけのある古い食堂然とした料理屋だった。「パイ・アンド・マッシュ」と その日よけの幌には書いてあった。店内には、伝統の鰻料理をお目当てにやってきた人びとが、短い行列を作って注文の順番を待っていた。わたしも、その行列 の最後に並び、品書きをながめて、料理の品定めをした。
 かつて、イーストエンドの鰻料理は、テムズ川で揚がった鰻をパイにして食べたそうだ。もちろん、浜松のうなぎパイとは違って、ミートパイの中身が鰻になっているというようなタイプの鰻パイである。
 しかし、今日、汚染の進んだテムズ川には、もはや鰻は住まない。だから、鰻パイはなく、パイは牛のミートパイだそうだ。そのパイに、ジャガイモの マッシュポテトがどっぷりと添えられていた。鰻料理とは何かといえば、鰻の煮物と鰻のゼリー寄せの2品であった。また、ここで出す鰻はすべてオランダから の輸入だそうである。
 すでに席について食べ始めている連中の様子をみると、鰻の煮物に、とろみを付けた小麦粉に刻みパセリを混ぜ合わせたリカーと呼ばれるたれを掛けて、食べていた。私たちは、かれらの注文を参考にして、ミートパイと鰻の煮物と鰻のゼリー寄せを1品ずつ注文した。
 注文の品は、すぐボウルにもられて、若い男性の店員によって素っ気なく私たちに突き出された。それを持って、テーブルにつき、さっそく食べ始めた。
 まずかった。鰻はまったくさばいていなかった。ただのぶつ切りであった。口に入れると、骨が舌に引っかかった。それに加えて、塩味も、スパイスも なく、まったく味というものが付いていなかった。見渡すと、テーブルに塩と胡椒が置いてあった。お客たちは、それを適当に料理に振りかけて食しているよう だった。
 まずかった。ゼリー寄せは、ただただ生臭かった。口の中に押し込んではみたものの、喉が通らない。口の中で、唾液と混ざり合って、さらに生臭くなっていった。
それらを最後の決意を固めて、嚥下した。そうしなければ、この店を退去することはできない。そう思い詰めた挙げ句の行動だった。
 一方、N君は「こんなのなんてことはありません。呑み込めばいいんです」といって、平然と摂取したのであった。さすが人類学を専攻しただけのことはあるなあと感心した。
 店を出た後、思い返してみた。ドーバー海峡を渡っただけで、こんなに違う。味覚文化というのは、本当に多様で、不可思議なものだなあと。イーストエンドの鰻がそれをあらためて教えてくれたのだった。

2010年1月8日金曜日

「それでいいのだ」から「これがいいのだ」へ

 公共福祉広告で、ここのところ、赤塚不二夫のバカボンのパパのあの有名なフレーズが幾度となく繰り返されている。「それでいいのだ」というアレだ。
 ちょっと神経質そうでバルネラブルな感じの女子高生が、お弁当を食べている。どこかおどおどして自信なさげな風情が、昨今の生命力の乏しそうな若者をよく表しているようにみえる。その不安げな若者に、ナレーションが語りかけることばが、「それでいいのだ」「ありのままの自分でいいのだ」というフレーズだ。
 たしかに、自己肯定は必要だろう。自分を自分が受け入れなければ、アイデンティティの形成はありえない。そして、自己を責めてばかりいては、辛いこともあるだろう。ときには、他者の目とはかかわりなく、自己を無条件に肯定できれば癒されることも多かろう。
 しかし、とはいうものの、そもそも自己とはなんなのか? 他者との関わりを抜きにして、無条件に肯定される自己などあるのだろうか。
 G・H・ミードは、幼年期の自己形成以前の段階から、社会が人間の内側深く浸入していくことに注目して、社会は自己の外部にあるのではなく、自己を自覚したときには、社会は自己の内部にすでに避けがたく存在していることを指摘した。
 そもそも人間が、本来コミュニケーションの道具である言語を使ってしか思考できない存在であるということ自体が、人間が他者との関係性の中で生きる存在であることを裏付けているのだろう。
 自己は他者との関係の中ではじめて位置を与えられる。結局、他者である誰かに「それでいいのだ」と言ってもらう以外に、自己を肯定する方法はないのだ。自分に対して、いくら「それでいいのだ」と言っても、人間は癒されないのだろう。
 社会との関係性を排除して、無限定に自己肯定する自己とは、何なのだろうか? 社会から自己を切断し、あたかも社会との関係性を断つことが自己の救済であるかのような言説は、無意識に内面化された社会が自己を無限に統制し苛んでいくという隘路に私たちを逆に陥らせるのではないだろうか。そうではなく、自己の中に無意識に投影される社会の存在を意識化させ、社会との関係性を回復させることによって、ともすれば閉ざされがちな自己を他者に向けてふたたび語り始めることこそが必要なのではないか。
 「それでいいのだ」と自己肯定するだけではなく、「これがいいのだ」と他者に勇気をもって語りかけることこそ、今必要な営みなのではないかと私には思える。

2010年1月7日木曜日

地方権力と地域メディアの「政権交代」も必要だ

■地域のリベラルな市民活動の発展がリベラルな政権を支える。 

民主党が政権をとって100日が過ぎた。最近のメディアの論調は、民主党はやはり官僚支配を打ち破れないとか、日米関係を不安定にしたとか、国家戦略が打ち立てられないとか、地方自治体の陳情が受け付けられないとか、そんな話ばかりだ。しかし、本当に明らかになってきたのは、メディアこそが政権交代に追いついていないという事実であり、地方自治体があいかわらず旧政権時代の因習から脱却できていないという事実なのではないか。
ここで考えたいのは、地方権力と地方メディアだ。
民主党は、地域主権を唱え、税源の地域移譲を進めるとマニフェストに書いた。しかし、それでは、税源を移譲される地方があいかわらず公共事業と利権政治に明け暮れているなら、何のための地方主権かわからない。コンクリートから人へと言って移譲された財源が、地方に移された途端、要りもしない空港や狸しか通らない県道に化けては、なんのためのマニフェストだったか分からないではないか。
地方権力は、あいかわらず土建屋政治の利権と談合の構造の中にどっぷりと浸かっている。そして、その地方権力と呉越同舟する地方メディアが支えている。地方紙と地方放送局は、戦時下の産業報国体制に由来する一県一紙体制を諄々と維持し、その系列にある放送メディアが一体となって、地方の政治権力と一体化してきたからだ。これらの構造を変革することなしに、地域主権は真の意味を持てない。
ここで想起されるのは、1960年代のアメリカだ。リベラルなケネディー政権の登場によって、アメリカ政治は一変するかにみえたこの時代のアメリカでは、たしかに1964年に公民権法を制定させた。しかし、公民権法が実効性をもっていった過程をより詳細にみると、連邦政府が推進する人種平等の理念が、共和党が牛耳る地方権力によって、ことごとく妨害されていた事実が浮かび上がってくる。
リベラルな連邦政府に対して、地方の保守的権力は、地方主権を主張して、公民権法の精神を公然と否定し続けたのだ。地方を変えない限り、公民権は実効性をもたないという厳しい現実が、リベラル派に突きつけられたのだった。それでは、このような状況を変えるために、連邦政府を握ったリベラル派は、どのような戦略をとったのだろうか。
それは、地方で活動を行うリベラルな市民活動団体に連邦政府の補助金を潤沢に供給し、地方政治の変革をリベラル派市民たち自身によって、着手するのを資金的に支援したことだ。社会福祉や人種平等、反戦運動などにとりくむ市民活動は、連邦政府の補助金を得ることで、その活動を幅広く展開できただけでなく、必然的に、反人権的、反動的な地方権力の変革へとつながっていった。
もちろん、市民活動団体は政府機関ではないから、その活動は自立的であって、連邦政府がコントロールできるものではない。しかし、地方政治のリベラル化こそが、地方権力を共和党から奪還する決定的に重要な要素であることを見抜いた民主党指導部の戦略は先見性があったというべきだ。
ここから日本の民主党はどのような教訓をえるべきだろうか。今日、市民活動を支える数多くのNPOは資金問題を常に抱えている。これに反して、公益団体が役人が役人のために作った天下り団体であった時代の余韻はいまだ続いている。そんな公益団体は、地方権力の変革の主体にはとうていならない。ここで必要なのは、地方政治を変革する主体としてのNPOに対する決定的な財政的な支援だ。補助金もその一つの方法だろう。しかし、それよりもうすこし賢い方法もある。NPOへの寄付金に対する税控除をひろげ、地方税をその対象とすることだ。所得控除ではなく、全額税控除を認めることだ。
メディアについても、一言触れれば、地方の保守的権力と癒着している地方の商業メディアと対抗するために、非営利のコミュニティベースのパブリックメディアへの財政支援もそのような戦略の一端になるだろう。その原資は、現在、不明瞭な使用が問題化している電波利用料(650億円)を当てれば十分だろう。
税源を地方に移管されることで、地方自治体の財源のパイは、大きくなるだろう。しかし、それが、従来の保守的地方権力の強化を招来するなら、本末転倒ではないか。それを牽制するのが、地方で活動するNPOへの寄付の税控除だ。そうすれば、市民たちは、保守的な地方政府に税金を納めるか、その変革に貢献するリベラルな市民活動団体に寄付するかを選択できるだろう。
政権交代をより確実に定着させるために、地方権力と地方メディアの交代が必要であり、その主体となる市民活動とパブリックメディアの活性化こそ、今、必要なのであろう。それができるかどうかが、新政権が真に変革を担えるかどうかの試金石となるだろう。不安をいだきつつ、期待している。