2012年4月21日土曜日

災害とメディアの役割〜スタンド・バイ・ミーの幻聴〜

阪神淡路大震災の直後、東京に暮らしていた私は、被災地の東端に位置する尼崎で暮らす年老いた両親の安否を確かめるため、一人リュックサックに食料や水を詰め込んで実家に向かった。さいわい実家は倒壊を免れていた。さらに尼崎市は停電からも免れていた。しかし、市境である武庫川を挟んで、西宮市は停電と断水が続き、復旧の見通しも立っていなかった。

両親の無事を確認した私は、持参した食料と水を西宮市の知人宅に届けるべく、夕闇の迫る武庫川の鉄橋を渡った。冷たく凍るような夜が迫っていた。橋の中央まできたとき、くっきりと明暗をわける武庫川の向こう側に佇む被災地を見つめた。しんしんと冷え渡る冬の月明かりの中に、それはくろぐろと横たわっていた。

そのとき、突然、ジョンレノンのスタンド・バイ・ミーがどこからか聴こえてきたような錯覚に陥った。

夜が来て
周囲が暗闇に落ち
月の光しか見えなくなっても
僕は 怖くない
君がそばにいるだけで
Stand by me

その歌は、被災地から地を伝わって響いてくるようにも思えた。その幻聴を聴きながら私は気づいた。こうしてここに被災地をみつめている自分がいる。災害の巨大な破壊力にくらべれば、私、いや人間の力はあまりにも小さく無力だ。しかし、ここに被災地をたしかにみつめている自分がいる。そのことを目の前に横たわる暗闇の中にいる人々に伝えたい。その気持はこらえようもなく高まっていった。
そして、そのとき私は、何があっても被災地をずっと見つめ続けていこうと密かに心に誓った。それが、私にできるもっとも確かなことのようにも思えた。

以来、自分自身で、あるいは、友人たちと、あるいは学生たちと、被災地支援のさまざまな活動に携わってきた。手応えを感じることもあったし、無力感に襲われることもあった。しかし、冴え渡る冬の橋の上で誓った、「見つめ続けていく」という心だけは曲げずに来た。

そして、今、災害とメディアの問題をメディア研究者の端くれとして考え、さまざまな提案や議論をする機会もあるのだが、いつも私の心の奥にリフレインしているのは、あの武庫川の橋の上で聴いたスタンド・バイ・ミーなのだ。
それは、メディアが災害時に果たす重要な役割でもあるに違いないのだ。被災地に寄り添い、被災者の声を聴き続けること。災害が起こった直後だけでなく、人々が災害から復興していく、その長く苦しい、孤独な過程にずっと寄り添って、見つめ続けていくこと。そして、それを被災地に伝え続けること。そのことが、もっとも大切なメディアの役割のひとつなのだと思う。

もし見上げる空が砕け散っても
山々が海まで崩れ落ちても
僕は泣かない
涙をこぼさない
君がそばにいるだけで
Stand by me