2010年5月26日水曜日

生豆から入れるコーヒーのもうひとつの楽しみ


 数年前からeカフェというマイクロコンピュータ制御の全自動のコーヒーメーカーを使って、朝、コーヒーを入れている。
 とても優れもののコーヒーメーカーで生豆を上部の穴から入れ、タンクに水を入れておくと、全自動で豆の皮を剥き、ローストし、粉に挽いてくれて、最後に、お湯を注いで、コーヒーを入れてくれる。
 生豆を仕掛けて、コーヒーが入るまでには、10分くらいかかるけれど、その間待つのがまた楽しい。最初、カリカリと皮を剥く音が聞こえてくる。 この音がなかなかかわいい。つぎに、熱が加わって豆がローストされていく。ちょっと香ばしい匂いがしてくる。うっすらとマシンから紫煙が立ち上っているの が分かる。そして、つぎにガリガリガリと豆を挽く音と共に、お馴染みの馥郁としたフレーバーが部屋一杯に広がる。このガリガリ音が終わるや、ボコボコボコ という湯が沸騰する音とともに、熱湯が挽かれたコーヒー豆に注がれて、ガラスのサーバーが褐色の液体で満たされていく。
 これで、コーヒーの一丁上がり。生豆からコーヒーが入れられていくすべての行程を楽しむことができるなんて、本当に贅沢だなあと毎朝思うのだ。
 ただ、問題は、なかなか生豆が手に入らないことである。その辺のスーパーなんかには売っていない。神戸元町まで出かけて生豆を買ってくることも ある。面倒だと思っていたら、最近、あちこちのフェアトレードのNPOが運営するお店で生豆を見かけることが増えた。アフリカやアジアの発展途上国の農家 が栽培したコーヒーが生豆で輸入され、売られている。
 売り上げの大半は、現地の農家に正当に還元される仕組みになっているらしく、生豆を買うことが、途上国の農民に対する支援にもなっているのだ。
 コーヒーは、長い間、植民地の大規模プランテーションで栽培され、世界を股に掛ける巨大企業によって、流通を独占され、プランテーションで働く 農民たちは、ただただ大企業に搾取され、奴隷のように働かされてきた。ブラジル、コロンビア、キリマンジャロ(アフリカ)、トラジャ(インドネシア)など など、名だたるコーヒー産地のほとんどがそのような欧米の多国籍企業による搾取と市場支配の産物なのである。
 これらの企業が、最大の武器にしているのが、ロースト、つまり焙煎の技術だそうだ。生豆は貧しい農民でも作ることが出来る。しかし、それを美 味いコーヒーに仕上げ、先進国の口の肥えた消費者を満足させるためには、焙煎が必要だ。その焙煎工程のノウハウを大企業が独占している。そして、その過程 で、価格は何倍にも、いや何十倍にも、化けるのだ。
 実際、フェアトレードのお店の店頭にならぶ生豆を自宅に持って帰っても、それを焙煎するのは、大変だ。煎りゴマをつくるようには、うまく焙煎 できないから、コーヒーの味も安定しない。失敗すると、飲める代物にはならない。だから、せっかく生豆を買って、途上国の農家を支援したいと思っても、長 続きしない。
 でも、我が家のようなコーヒーメーカーを使えば、苦労なく美味しいコーヒーが生豆から作ることが出来る。
 これって、ずごいことじゃないだろうか。日本中の心ある消費者が、このコーヒーメーカーを自宅に備えれば、途上国の農民の作った豆をコーヒー企 業を抜きにして、フェアトレードを通して、直接、買うことができる。そうすれば、多国籍企業に中抜きされずに代金を現地の農民に渡すことも出来るだろう。 これも、コンピュータの正しい使い方のひとつに違いない。
 そんなこんなで、最近、我が家では、東チモールのコーヒーを飲んでいる。インドネシアの支配からやっと独立を勝ち取った東チモールの農民が 作った生豆。毎朝コーヒーを楽しみながら、生豆を作った農民たちのことを想い、ちょっとした支援ができることのよろこびも噛みしめている。
e-cafeのサイトは

http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/nanbu-coffee.com/g/K122/index.shtml

2010年5月22日土曜日

変貌する京都の中心市街地


 蒸し暑い梅雨の季節がそこまできている。
 昨日は、京都の大学で講義をしてから、烏丸丸太町界隈で飲んでから帰宅した。
 地下鉄丸太町駅から地上に出ると、京都商工会議所のビルの一階はカフェになっていて、美味しいアールグレーをポットで飲ませてくれる。そこでいつも大学同窓の悪友(本人は紳士だと自称しているのだが)と待ち合わせをして、近場の居酒屋に繰り出す。昨夜もそうだった。
 最近は、四条河原町界隈に出ないで、烏丸丸太町界隈で飲むことが多くなった。というのも、京都も、中心市街地は、もうまったく古都の風情はなくなってしまい、カラオケ、風俗、パチンコがところかまわず氾濫して、まるでススキノみたいになってしまったからだ。
 昔よく通っていたミューズというクラシック音楽喫茶店が木屋町にあったが、そこが焼き肉屋に変わってしまい、高瀬川ぞいにあった、凝ったカクテルを飲ませてくれるショットバーの錦は、もつ鍋屋になってしまい、洋書店 の丸善ビルは、ジャンカラのカラオケビルになってしまった。その周辺に虫食いのようにファッションヘルスの風俗店が進出して、黒服が客を引くようになっ た。
 不況なんだろう。高いテナント料を払えるのは、手っ取り早く稼げる風俗店だけなんだろうか。風俗店が進出すると、小路全体の雰囲気がどっと品が悪くなってしまい、せっかくそこに素敵なおばんざいを食べさせてくれるようなお店があっても、よりつく人はいなくなってしまう。
 悪貨は良貨を駆逐するというわけか。もう京都の中心市街地は、凋落の一途だと思う。雰囲気が殺伐として、荒廃していくのが止まらない。
 それを象徴するように、阪急百貨店の四条河原町からの撤退が決まった。撤退のニュースを聞いて、みんなびっくりしているが、わたしは驚かなかった。というのも、阪急百貨店の周辺の小路は、もうすでに風俗店ばかりになっていたから。
 そんなところで高級雑貨は売れない。
 今のところ、風俗店は鴨川を越えて祇園側までは進出していないようだ。しかし、川を越えるのは時間の問題だろう。そうなれば、歌舞伎の南座は、深刻なイメージ劣化を被るだろう。そのうち、移転するなんて話も出るのかも知れない。
 一方、丸太町や今出川界隈には、たくさん町屋が残っていて、その風情を生かしたレストランや料理屋、小物を売るショップが増えてきた。古い町屋 を上手に改造して、京都らしさを演出していて、なかなか楽しい。中心市街地が荒廃していくのと対照的に、歩いていても楽しい、新しい京都がこの界隈に生ま れつつあるように思う。
 地下鉄が京都駅から烏丸通りを北に延びたために、人の流れが、烏丸丸太町や烏丸今出川など北に向かいつつあるように思う。それに対して、旧中 心市街地の四条河原町界隈は、京都駅から直接アクセスできなくなった。かつては、祇園、木屋町、先斗町を後ろに控えて、阪急電車の終点として栄えた四条河 原町界隈は、世紀を超えた時点で、確実にその繁栄に終わりがきたように思う。
 千年の古都も激変しつつあるようだ。
(写真は商工会議所1階のワールドカフェ)

2010年5月11日火曜日

新しい革袋に古い酒〜日経Web刊のTVCM


日経WEB刊の創刊を告げるテレビCMが流れている。そのうちの一つに鼻白らんでいる。どんなCMかといえば、そば屋で課長さんがWEB刊で油田を発見して、そのまま、ドバイに飛んで、アラブのどこかの王室の皇太子然とした男と油田の共同開発事業で握手している、そんなCMだ。

みていてガックリである。いまさら中東の石油はないだろう。炭素エネルギーから脱炭素エネルギーへの革命的な転換が世界中で進行している時代に、中東に飛んで、よりにもよって、旧世紀の寡頭政治の遺物のような人物と握手するのが、このWEBメディアの効用だというのである。

ネット戦略で大統領になったオバマは、指名受諾演説でこう宣言した。
「アメリカの経済、安全保障、そして、地球の将来のために、10年以内に、中東からの石油に対する依存を終わらせます」
ネット時代の大統領にふさわしい宣言だろう。

それと比べて、日経WEB刊がWEBを使った新しいメディアだというなら、今更、中東の石油に色目を使うCMはなんとも陳腐ではないのか。

「新しい革袋には、新しい酒を」である。新しい革袋に古い酒しか入っていなければ、誰も飲みはしないだろう。こんな発想のCMでは、このメディアの将来もその程度のものでしかないのだろうか。