2010年1月31日日曜日

赤穂の牡蠣ざんまい


 大学院の長谷川さんの赤穂のご実家から牡蠣をいただいた。それもぷっくりと太った大きな牡蠣。お母さん、本当にありがとうございました。
 で、週末の土曜日、下宿暮らしの長谷川さんを招いて、その牡蠣を料理して摂取することになった。
 まず、牡蠣フライ。それにリースリングの白ワインを合わせる。牡蠣の食べ方としては、単純なフライが一番美味しいのじゃないかと思う。
 つぎに、牡蠣なべ。他の魚はつかわず、白ネギと豆腐が炊き上がったところで、その上に菊菜の布団を敷いて、そっと牡蠣を並べて蓋をする。後は一 煮立ちさせるだけ。ポン酢と京七味でふーふー吹きながら喉に滑り込ませる。ここで、米沢で買ってきた純米吟醸「東光」のよく冷やした一杯を合わせる。
 そして、最後に、若い長谷川さんの食欲を満たすための一品。牡蠣のお好み焼き。キャベツは使わず、なべに使った白ネギの残った青味の部分を刻んで小麦粉とあわせ、オリーブオイルが煙を上げ始める直前のフライパンに一気に流し込み、その上に牡蠣を並べて、すこし水どき小麦粉を絡ませ、数回ひっくり返して焼き上げる。これには、ビールが合う。牡蠣三昧である。
 さて、最後のお好み焼きを作ろうとネギを刻んみながら、なお、それでも残る牡蠣をどうしようかと、酔っぱらった頭で考えていた。翌日、牡蠣ご 飯にしようか、いやそれとも、雑炊に入れて食べようか。そのとき、酔いであやしくなった手元が狂って、指先に包丁が入って、ざっくり切ってしまった。痛いこと、痛いこと。それでも、まだ酔いはさめやらず、お好み焼きを食べ終えた後、すぐに沈没してしまった。
 長谷川さんは、いつ帰ったのだろうか。まあ、よくあることで、彼も心得ていて、タクシーを自分で呼んで帰っていったらしい。ひどい話である。お許しあれ。
 それにしても酔っぱらいながら包丁を握るのは禁物。指先のバンドエイドが今年の牡蠣三昧の名残になってしまった。

2010年1月27日水曜日

内舘牧子のもう一つの短慮〜土俵女人禁制の言説をめぐって



 内舘牧子氏が横綱審議会を満期退任する。メディアは、朝青龍に対する彼女の厳しい舌鋒を回顧して、彼女の伝統を守る姿勢を肯定的に評価した。みのもんたの「朝ズバ!」(20/1/26)でも、特集を組み、その中で、相撲評論家で元NHK相撲中継アナウンサーの杉山邦博氏を電話でつなぎ、彼女の伝統死守の姿勢を高く評価させていた。そのとき、杉山氏は、勢い余ってというか、むしろ確信犯的に、相撲協会が大阪府太田房江元知事に対して土俵立ち入りを拒否した事件を取り上げ、土俵を神域として女人禁制を墨守する協会の論理を支持する言論を展開した内舘氏を絶賛した。
 神域における女人禁制を日本文化の伝統であるかのような錯覚をまたまたメディアを通して人びとに刷り込んでしまった責任は重いし、その原因となった内舘氏の錯覚も同様の責を負うべきだろう。

 ここで、「女人禁制という伝統」について再論しておきたい。
 まず、その女人禁制という慣習を「伝統」であると仮定したとして、それが墨守しなければならないものであるかどうか、リアルな議論から始めよう。
 たとえば、かつて近世において女人禁制を慣習的に維持してきた神社の多くが、すでにその慣習を棄て、女性の入域を認めている事実がある。そもそも、明治政府は、1872年に太政官布告第98号「神社仏閣の女人結界の地廃止・登山参詣自由たるの件」で、女人禁制を基本的に解除している。
 しかし、今日、多くの神社が女人禁制を解いている最大の理由は、氏子組織の弱体化によって、女性労働の支えがなければ、境内の清掃や建物の維持管理などが出来なくなっているからである。いくら「民族の伝統」と叫んでみても、実際に男手が足りなくなると、いずこも平然と女性に門戸を開いてきたのだ。これは、男性労働が不足する戦時下で、女性の社会進出が増進するという世界のどこにでも見られる現象と同じ根をもつ。この事実は、女人禁制などという慣習は、伝統でも何でもなく、男社会の身勝手な女性差別でしかないことを裏付けている。
 鎌倉仏教が、当時の伝統仏教に対して、女性の極楽往生を説いたとき、旧仏教の多くが、負けじと女性極楽往生を認め始めた。その際、どんな法理を展開したかと言えば、死に臨んだとき、仏の法力によって女性を男性に転換することで極楽往生できると説いたそうである。ようするに、組織に翳りが見え始め、危機感を持った旧仏教勢力は、女性を取り込もうと屁理屈を考案したのだ。
 しかし、考えてみれば、宗教にかかわる論理というものは、いつでもそのようなものである。現実の要求を満たすために、教典や神話の故事を引きあいに出して、合理化の限りを尽くすのだ。それが、だから悪いとは思わない。むしろ伝統というような面倒くさいものを扱うときには、そういう屁理屈や柔軟思考があった方がよいのである。

 さて、それでは、女性が土俵に立ち入ってもかまわない理屈をどう構築するのか。相撲協会のために私見をひとつ示してみたい。
 それは、記紀の故事を引いて合法化するというやり方である。たとえば、女性を男性に扮装させて、相撲の神々をたぶらかして、女性を土俵にあげてしまうという手はどうだろうか。日本書紀をみると、女神であるアマテラスは、父イザナギから追放された弟スサノオと対面するとき、弟が自分の国を奪おうとしているのではないかと疑念を持ったため、完全武装し、「御髪を解きて、みみづらに纏きて」つまり男の髪形をして男装で弟を迎えている。
 その神話の故事をひいて、女性が土俵に入域するときは、アマテラスを招魂し、男装の儀礼(たとえば、「みみずら」つまり
髮を左右に束ね、耳の上でまとめる)などの儀礼を済ませて、相撲の神をたぶらかして、土俵に上がっていただければいいではないか。
 この際、「たぶらかし」は姑息だといってはならない。日本書紀では、天の岩戸に隠れてしまったアマテラスをスサノオたちが宴会を開いてたぶらかして天の岩戸を開かせたではないか。これもいわば日本の伝統であろう。意表を突く「たぶらかし」攻撃は、真珠湾で山本五十六もやったのだから。
 伝統は変えてはならないものではない。もともと伝統というものは、実に融通無碍に時代に沿って変化してきたのだ。カルチュラル・スタディーズ派の「発明された伝統」の概念を持ち出すまでもなく、伝統には、それ自身を変えるためのシステム(論理と形式)が内部に組み込まれているものだからだ。
 私が言いたいことは、こういうことである。相撲界は、記紀神話の論理と方法にのってとって、女人禁制などという差別的慣習と決別すべきなのである。それが、できないというのは、伝統に従っているのではなく、不都合な慣習を変えてゆくための伝統の力を失った、あるいは、神話的創造力を失った相撲界全体の衰退以外の何物でもないということである。
 声高に伝統回帰を説く前に、そのことを内舘氏や杉山氏は肝に銘じてほしい。
 

2010年1月25日月曜日

台北の故宮博物館は人だかり


 週末、かつて中央大学で教えた卒業生たちと台北旅行をした。改修が完了した故宮博物館を訪ねるのと、美味しい中華料理を食べようというもくろみだった。 卒業生たちは、就職して今が一番こき使われている年代になっている。週末を休むだけでも大変だったに違いない。でも、故宮博物館のフェロモン(というより、やっぱり中華料理のフェロモンかもしれないが…)には負けて、時間をやりくりしてやってきた。

 台北は雨だった。でも、乾ききった日本からやってきた我々一行には、うれしいうるおいだった。博物館にいくのだから、とりあえず天候は関係が薄い。
 そんなわけで、土曜日の午後から故宮博物館に出かけた。MRTを士林で降りて、駅前からタクシーを拾い、博物館に乗りつけた。改修前とくらべてどう変わったのだろうか?興味津々だった。
 誘導路にしたがって大きな地下バスターミナルにタクシーは導かれていった。到着してびっくりした。エンジン音を唸らせた大きな観光バス が数珠つなぎで何十台も停車していた。そこから大量の人びとがはき出され、陸続と博物館に吸い込まれていく。よくみると、小旗をかざした添乗員らしき人に 率いられ、共通の帽子やワッペンをつけた観光客たちだった。20名程度ずつに群れとなって、大声や嬌声を発しながら、わいわいがやがやと楽しそうである。どこかの宴会場かお祭りに出かけるような雰囲気だった。おそろいの帽子に染め抜かれた文字を読んでみると、彼らは大陸中国からやってきた団体観光客だとすぐに 分かった。ものすごい数なのである。

 わたしたちは、ようやくその隙間を縫って、入場を果たした。しかし、博物館の中は、人びとの群れで騒然としていた。卒業生たちは、びっくりしていたが、私は、これとよく似た景色を突然思い出した。「そうそう、思い出した、思い出した。モナリザ展、いや、大阪万国博覧会、いや上野動物園のパンダ」 高度成長期の日本に彩りを添えたあの一大文化イベント。展覧会。世界の珍品を一目見るために、大量の日本人が長蛇の行列を作って詰めかけた。鑑賞すること ではなく、行列に参加することに意義があるとでもいうようなイベントだった。
 それと同じ頃、豊かになった日本農村から農協と呼ばれる団体旅行が同じような勢いで海外に向かった。かれらに海外で出会ったことはさいわいなかったが、きっとこんな風景だったに違いない。それは、豊かになったよろこびを全身で表現し、確認する重要な通過儀礼だったに違いない。

 今、大陸中国から同様に、圧倒的な数の観光客たちが台湾に押し寄せているのだろう。言葉が通じるし、旅費もそんなにかからない。それに、国民党と共産党の内戦時、北京の紫禁城から蒋介石が運び出した清朝の財宝や文化財が、ここ、台北の故宮博物館にごっそりと展示されているのである。これを見ない わけにはいかない。戦後の長い低迷期を脱して、ようやく手にした豊かさである。回復した自信は必然的に偉大な中華文明の再確認に人びとを向かわせるのだろう。凱旋パレードのような晴れがましさを満面に浮かべて、人びとは陽気なこと騒々しいこと。

 しかし、やっぱりここは博物館である。もうすこし、観覧のマナーは向上してもらいたいなあとも思った。走り回る、大声でしゃべる、携帯電話を掛 けまくる。もっとびっくりしたのは、大きな山水画を鑑賞するために、一歩後ろに下がった私の前にできた隙間に、あっという間に、何人もの人びとが割り込ん できたことだった。それも一度ではない。何度も何度も。これでは絵画全体を鑑賞できやしない。要するに、美術作品を鑑賞するためのプロトコルがまったく身 についていないのだ。
 隙間には割り込むべしというのは、不足がちな生活物資を手に入れるときに自然と身についた所作なのかもしれない。戦後中国の庶民生活史を思うと、それも仕方ないのかもしれない。でも、ここは博物館。美術品は逃げていかないのだから。
 しかし、かれらが美術鑑賞のマナーを身につけるのに、そう時間はかからないに違いない。かつての日本人がそうだったように。

 ただ、以前の故宮博物館にはもうすこしゆとりがあり、展示された文物の品格の高さが醸し出す気品と緊張感があったように思う。しかし、もうあの故宮博物館は戻ってこないだろう。だって、発展する大陸中国では、ここを訪れようと13億の人びとが列を作って待っているに違いないから。
 大陸からやってきた観光客たちのよろこび一杯の表情を心から祝福するとともに、失われた博物館の凛とした緊張感と気品を懐かしく思った。

2010年1月20日水曜日

認知的不協和理論でみる小沢政治資金問題とテレビ


                     写真:レオン・フェスティンガー
心理学者のフェスティンガーの有名な認知的不協和理論によれば、人間は自身の中で矛盾する認知を同時に抱えたとき、それを解消するために、態度や行動を変えるといわれている。
たとえば、トマトが嫌いだった男が、恋人の彼女と食事に行った。すると、彼女はトマトが大好きだといって、トマトサラダを注文した。そのとき、その男は、認知的不協和の状態になる。彼女がトマトを嫌いなら認知的不協和は起こらない。認知的不協和は、男の好きな彼女が、男の嫌いなトマトが好きという矛盾した状況になってはじめて起こる。そして、その男は、認知的不協和を解消するため、態度や行動を変化させる。つまり、好きな彼女が好きなんだから自分もトマトを好きになろうとしてトマトを食べる。あるいは、自分の嫌いなトマトを好きな彼女なんて大嫌いだといって、彼女と絶交する。どちらの行動をとるかは対象に対する愛着の程度で変わる。彼女に対する愛着がトマトに対する嫌悪より強ければ、男はトマトを食べるだろうし、トマトに対する嫌悪の方が強ければ、彼女を振るだろう。
最近のメディアと新政権を見つめる人びとは、まさにこの認知的不協和の状態にあるといってもよいだろう。
国民の圧倒的な支持によって誕生した新政権が小沢氏の政治資金問題でメディアに攻撃されている。検察の捜査にはあからさまな政治的な意図がありそうだ。しかし、メディアは検察の情報操作に同調して、一方的に新政権を攻撃しているようにみえる。

支持する新政権をメディアが攻撃する。このとき、国民は認知的不協和を避けるために、つぎのような行動をとるかもしれない。つまり、新政権への愛着を維持するために、新政権を攻撃し続けるメディアを嫌いになって、ニュース番組を見なくなる。あるいは、テレビに対する愛着を棄てきれず、新政権に対する支持を棄てる。
人びとは、どちらの行動を選択するだろうか。テレビ中毒の状態にある人ほど、テレビに対する愛着を棄てきれずに、メディア報道に引きずられ、新政権に対する支持から離れるだろう。しかし、メディアに対する高いリテラシーをもっていて、普段からテレビ報道に対する批判性を高めている人ほど、新政権に対する支持を維持し、逆に、テレビから遠ざかるだろう。
今回の小沢政治資金問題がメディアで騒がれるようになったとき、人びとは、これまでにない反応をした。つまり、小沢問題をワイドショーが取り上げると、視聴率が下がったのである。また、世論調査では、小沢氏に対する不支持率と民主党に対する不支持率とはかならずしも連動しないという傾向が現れた。
私は、この傾向を読んで、国民のメディアリテラシーの水準が上がったという感触を得た。そして、そのことを『週刊金曜日』に寄稿した。
しかし、その記事が活字になるまでの間に、メディア、とりわけ既存の新聞と地上波テレビのさらなる小沢攻撃で、国民の政権支持率は下がり始めた。
ようするに、新政権を支持していた多くの人びとは、認知的不協和を避けるためにテレビを見ることからいったんは離れたものの、やはりテレビなしの生活にはお手上げで、テレビにもどってしまったのだろう。そして、新政権を攻撃するテレビを受け入れる以上、認知的不協和を避けるために、逆に新政権を支持しなくなったのだ。まあ、現状なら、そういうことは起こるだろう。人びとのテレビ中毒が、その原因である。

私は、この際、人びとがとる二つの選択肢があると思う。
ひとつは、そのままテレビのない生活を続けるという選択。私は仕事柄テレビはよくチェックしている。しかし、私の友人たちには、テレビを見ない生活を選択した人びとが結構多い。とくに高学歴で高収入というタイプの人びとに多い。これからのエリートはテレビ離れが進むのだろうという予感を彼らの存在は抱かせる。
もうひとつは、地上波テレビ以外のメディアへの接近をはじめる機会にするという選択である。今回の小沢問題でも、ネット系ジャーナリズムは当初から検察の動きに、きな臭いものがあることを報道していた。また、地上波テレビでは歯に衣を着せたような中途半端なコメントしか出さなかったリベラル派のコメンテーターも、衛星系のテレビ局やラジオでは、はっきりと検察批判をしゃべっていた。すくなくとも、地上波テレビと既成新聞メディアをやめて、オルタナティブなメディアに接近すれば、認知的不協和を避けることはできそうである。
実際、地上波テレビは、もはや斜陽産業である。広告収入は平成19年以来減り続けている。ネット広告が伸び続けているのと対照的だ。地デジ化によって、この傾向はいっそう進むだろう。地デジ化によって、あきらかに総視聴者数は減少するからだ。パイの小さくなった地上波テレビに、これまでと同額の広告料を支払うスポンサーがあったら、バカである。
今回の小沢問題で現れた微妙な視聴者とマスメディアとのずれは、これからますます大きくその亀裂を開いていくことだろう。マスメディアが変わらなければ、その末路はそう遠くないに違いない。

2010年1月19日火曜日

ロンドン・イーストエンドのうなぎ料理




 先日、久しぶりに鰻の蒲焼きを食べた。ご飯にたっぷりと醤油たれがかかって、その上に、鷹揚に寝そべっておられる鰻の蒲焼き様を一礼遙拝をして摂取申し上げました。美味しかった。
 やはり、鰻は、かくあるべしという味だった。でも、それは私が日本人だということに過ぎないのかも知れない。というのも、昨年の秋、ロンドンのイーストエンドで食べた鰻料理のことを思い出したからだ。
 テムズ川べりに栄えた労働者街であるイーストエンドに、ロンドンっ子が好んで通う伝統のうなぎ料理を食べさせる店があると聞いて、ロンドン大学院 生のN君に探してもらった。首尾良くみつかったとメールが入り、滞在中、時間を作って行ってみた。期待に胸が膨らまなかったといえばウソになる。
 地下鉄を乗り継いで、そのお目当ての店に出かけていった。グリーンの日よけのある古い食堂然とした料理屋だった。「パイ・アンド・マッシュ」と その日よけの幌には書いてあった。店内には、伝統の鰻料理をお目当てにやってきた人びとが、短い行列を作って注文の順番を待っていた。わたしも、その行列 の最後に並び、品書きをながめて、料理の品定めをした。
 かつて、イーストエンドの鰻料理は、テムズ川で揚がった鰻をパイにして食べたそうだ。もちろん、浜松のうなぎパイとは違って、ミートパイの中身が鰻になっているというようなタイプの鰻パイである。
 しかし、今日、汚染の進んだテムズ川には、もはや鰻は住まない。だから、鰻パイはなく、パイは牛のミートパイだそうだ。そのパイに、ジャガイモの マッシュポテトがどっぷりと添えられていた。鰻料理とは何かといえば、鰻の煮物と鰻のゼリー寄せの2品であった。また、ここで出す鰻はすべてオランダから の輸入だそうである。
 すでに席について食べ始めている連中の様子をみると、鰻の煮物に、とろみを付けた小麦粉に刻みパセリを混ぜ合わせたリカーと呼ばれるたれを掛けて、食べていた。私たちは、かれらの注文を参考にして、ミートパイと鰻の煮物と鰻のゼリー寄せを1品ずつ注文した。
 注文の品は、すぐボウルにもられて、若い男性の店員によって素っ気なく私たちに突き出された。それを持って、テーブルにつき、さっそく食べ始めた。
 まずかった。鰻はまったくさばいていなかった。ただのぶつ切りであった。口に入れると、骨が舌に引っかかった。それに加えて、塩味も、スパイスも なく、まったく味というものが付いていなかった。見渡すと、テーブルに塩と胡椒が置いてあった。お客たちは、それを適当に料理に振りかけて食しているよう だった。
 まずかった。ゼリー寄せは、ただただ生臭かった。口の中に押し込んではみたものの、喉が通らない。口の中で、唾液と混ざり合って、さらに生臭くなっていった。
それらを最後の決意を固めて、嚥下した。そうしなければ、この店を退去することはできない。そう思い詰めた挙げ句の行動だった。
 一方、N君は「こんなのなんてことはありません。呑み込めばいいんです」といって、平然と摂取したのであった。さすが人類学を専攻しただけのことはあるなあと感心した。
 店を出た後、思い返してみた。ドーバー海峡を渡っただけで、こんなに違う。味覚文化というのは、本当に多様で、不可思議なものだなあと。イーストエンドの鰻がそれをあらためて教えてくれたのだった。

2010年1月8日金曜日

「それでいいのだ」から「これがいいのだ」へ

 公共福祉広告で、ここのところ、赤塚不二夫のバカボンのパパのあの有名なフレーズが幾度となく繰り返されている。「それでいいのだ」というアレだ。
 ちょっと神経質そうでバルネラブルな感じの女子高生が、お弁当を食べている。どこかおどおどして自信なさげな風情が、昨今の生命力の乏しそうな若者をよく表しているようにみえる。その不安げな若者に、ナレーションが語りかけることばが、「それでいいのだ」「ありのままの自分でいいのだ」というフレーズだ。
 たしかに、自己肯定は必要だろう。自分を自分が受け入れなければ、アイデンティティの形成はありえない。そして、自己を責めてばかりいては、辛いこともあるだろう。ときには、他者の目とはかかわりなく、自己を無条件に肯定できれば癒されることも多かろう。
 しかし、とはいうものの、そもそも自己とはなんなのか? 他者との関わりを抜きにして、無条件に肯定される自己などあるのだろうか。
 G・H・ミードは、幼年期の自己形成以前の段階から、社会が人間の内側深く浸入していくことに注目して、社会は自己の外部にあるのではなく、自己を自覚したときには、社会は自己の内部にすでに避けがたく存在していることを指摘した。
 そもそも人間が、本来コミュニケーションの道具である言語を使ってしか思考できない存在であるということ自体が、人間が他者との関係性の中で生きる存在であることを裏付けているのだろう。
 自己は他者との関係の中ではじめて位置を与えられる。結局、他者である誰かに「それでいいのだ」と言ってもらう以外に、自己を肯定する方法はないのだ。自分に対して、いくら「それでいいのだ」と言っても、人間は癒されないのだろう。
 社会との関係性を排除して、無限定に自己肯定する自己とは、何なのだろうか? 社会から自己を切断し、あたかも社会との関係性を断つことが自己の救済であるかのような言説は、無意識に内面化された社会が自己を無限に統制し苛んでいくという隘路に私たちを逆に陥らせるのではないだろうか。そうではなく、自己の中に無意識に投影される社会の存在を意識化させ、社会との関係性を回復させることによって、ともすれば閉ざされがちな自己を他者に向けてふたたび語り始めることこそが必要なのではないか。
 「それでいいのだ」と自己肯定するだけではなく、「これがいいのだ」と他者に勇気をもって語りかけることこそ、今必要な営みなのではないかと私には思える。

2010年1月7日木曜日

地方権力と地域メディアの「政権交代」も必要だ

■地域のリベラルな市民活動の発展がリベラルな政権を支える。 

民主党が政権をとって100日が過ぎた。最近のメディアの論調は、民主党はやはり官僚支配を打ち破れないとか、日米関係を不安定にしたとか、国家戦略が打ち立てられないとか、地方自治体の陳情が受け付けられないとか、そんな話ばかりだ。しかし、本当に明らかになってきたのは、メディアこそが政権交代に追いついていないという事実であり、地方自治体があいかわらず旧政権時代の因習から脱却できていないという事実なのではないか。
ここで考えたいのは、地方権力と地方メディアだ。
民主党は、地域主権を唱え、税源の地域移譲を進めるとマニフェストに書いた。しかし、それでは、税源を移譲される地方があいかわらず公共事業と利権政治に明け暮れているなら、何のための地方主権かわからない。コンクリートから人へと言って移譲された財源が、地方に移された途端、要りもしない空港や狸しか通らない県道に化けては、なんのためのマニフェストだったか分からないではないか。
地方権力は、あいかわらず土建屋政治の利権と談合の構造の中にどっぷりと浸かっている。そして、その地方権力と呉越同舟する地方メディアが支えている。地方紙と地方放送局は、戦時下の産業報国体制に由来する一県一紙体制を諄々と維持し、その系列にある放送メディアが一体となって、地方の政治権力と一体化してきたからだ。これらの構造を変革することなしに、地域主権は真の意味を持てない。
ここで想起されるのは、1960年代のアメリカだ。リベラルなケネディー政権の登場によって、アメリカ政治は一変するかにみえたこの時代のアメリカでは、たしかに1964年に公民権法を制定させた。しかし、公民権法が実効性をもっていった過程をより詳細にみると、連邦政府が推進する人種平等の理念が、共和党が牛耳る地方権力によって、ことごとく妨害されていた事実が浮かび上がってくる。
リベラルな連邦政府に対して、地方の保守的権力は、地方主権を主張して、公民権法の精神を公然と否定し続けたのだ。地方を変えない限り、公民権は実効性をもたないという厳しい現実が、リベラル派に突きつけられたのだった。それでは、このような状況を変えるために、連邦政府を握ったリベラル派は、どのような戦略をとったのだろうか。
それは、地方で活動を行うリベラルな市民活動団体に連邦政府の補助金を潤沢に供給し、地方政治の変革をリベラル派市民たち自身によって、着手するのを資金的に支援したことだ。社会福祉や人種平等、反戦運動などにとりくむ市民活動は、連邦政府の補助金を得ることで、その活動を幅広く展開できただけでなく、必然的に、反人権的、反動的な地方権力の変革へとつながっていった。
もちろん、市民活動団体は政府機関ではないから、その活動は自立的であって、連邦政府がコントロールできるものではない。しかし、地方政治のリベラル化こそが、地方権力を共和党から奪還する決定的に重要な要素であることを見抜いた民主党指導部の戦略は先見性があったというべきだ。
ここから日本の民主党はどのような教訓をえるべきだろうか。今日、市民活動を支える数多くのNPOは資金問題を常に抱えている。これに反して、公益団体が役人が役人のために作った天下り団体であった時代の余韻はいまだ続いている。そんな公益団体は、地方権力の変革の主体にはとうていならない。ここで必要なのは、地方政治を変革する主体としてのNPOに対する決定的な財政的な支援だ。補助金もその一つの方法だろう。しかし、それよりもうすこし賢い方法もある。NPOへの寄付金に対する税控除をひろげ、地方税をその対象とすることだ。所得控除ではなく、全額税控除を認めることだ。
メディアについても、一言触れれば、地方の保守的権力と癒着している地方の商業メディアと対抗するために、非営利のコミュニティベースのパブリックメディアへの財政支援もそのような戦略の一端になるだろう。その原資は、現在、不明瞭な使用が問題化している電波利用料(650億円)を当てれば十分だろう。
税源を地方に移管されることで、地方自治体の財源のパイは、大きくなるだろう。しかし、それが、従来の保守的地方権力の強化を招来するなら、本末転倒ではないか。それを牽制するのが、地方で活動するNPOへの寄付の税控除だ。そうすれば、市民たちは、保守的な地方政府に税金を納めるか、その変革に貢献するリベラルな市民活動団体に寄付するかを選択できるだろう。
政権交代をより確実に定着させるために、地方権力と地方メディアの交代が必要であり、その主体となる市民活動とパブリックメディアの活性化こそ、今、必要なのであろう。それができるかどうかが、新政権が真に変革を担えるかどうかの試金石となるだろう。不安をいだきつつ、期待している。