2010年1月25日月曜日

台北の故宮博物館は人だかり


 週末、かつて中央大学で教えた卒業生たちと台北旅行をした。改修が完了した故宮博物館を訪ねるのと、美味しい中華料理を食べようというもくろみだった。 卒業生たちは、就職して今が一番こき使われている年代になっている。週末を休むだけでも大変だったに違いない。でも、故宮博物館のフェロモン(というより、やっぱり中華料理のフェロモンかもしれないが…)には負けて、時間をやりくりしてやってきた。

 台北は雨だった。でも、乾ききった日本からやってきた我々一行には、うれしいうるおいだった。博物館にいくのだから、とりあえず天候は関係が薄い。
 そんなわけで、土曜日の午後から故宮博物館に出かけた。MRTを士林で降りて、駅前からタクシーを拾い、博物館に乗りつけた。改修前とくらべてどう変わったのだろうか?興味津々だった。
 誘導路にしたがって大きな地下バスターミナルにタクシーは導かれていった。到着してびっくりした。エンジン音を唸らせた大きな観光バス が数珠つなぎで何十台も停車していた。そこから大量の人びとがはき出され、陸続と博物館に吸い込まれていく。よくみると、小旗をかざした添乗員らしき人に 率いられ、共通の帽子やワッペンをつけた観光客たちだった。20名程度ずつに群れとなって、大声や嬌声を発しながら、わいわいがやがやと楽しそうである。どこかの宴会場かお祭りに出かけるような雰囲気だった。おそろいの帽子に染め抜かれた文字を読んでみると、彼らは大陸中国からやってきた団体観光客だとすぐに 分かった。ものすごい数なのである。

 わたしたちは、ようやくその隙間を縫って、入場を果たした。しかし、博物館の中は、人びとの群れで騒然としていた。卒業生たちは、びっくりしていたが、私は、これとよく似た景色を突然思い出した。「そうそう、思い出した、思い出した。モナリザ展、いや、大阪万国博覧会、いや上野動物園のパンダ」 高度成長期の日本に彩りを添えたあの一大文化イベント。展覧会。世界の珍品を一目見るために、大量の日本人が長蛇の行列を作って詰めかけた。鑑賞すること ではなく、行列に参加することに意義があるとでもいうようなイベントだった。
 それと同じ頃、豊かになった日本農村から農協と呼ばれる団体旅行が同じような勢いで海外に向かった。かれらに海外で出会ったことはさいわいなかったが、きっとこんな風景だったに違いない。それは、豊かになったよろこびを全身で表現し、確認する重要な通過儀礼だったに違いない。

 今、大陸中国から同様に、圧倒的な数の観光客たちが台湾に押し寄せているのだろう。言葉が通じるし、旅費もそんなにかからない。それに、国民党と共産党の内戦時、北京の紫禁城から蒋介石が運び出した清朝の財宝や文化財が、ここ、台北の故宮博物館にごっそりと展示されているのである。これを見ない わけにはいかない。戦後の長い低迷期を脱して、ようやく手にした豊かさである。回復した自信は必然的に偉大な中華文明の再確認に人びとを向かわせるのだろう。凱旋パレードのような晴れがましさを満面に浮かべて、人びとは陽気なこと騒々しいこと。

 しかし、やっぱりここは博物館である。もうすこし、観覧のマナーは向上してもらいたいなあとも思った。走り回る、大声でしゃべる、携帯電話を掛 けまくる。もっとびっくりしたのは、大きな山水画を鑑賞するために、一歩後ろに下がった私の前にできた隙間に、あっという間に、何人もの人びとが割り込ん できたことだった。それも一度ではない。何度も何度も。これでは絵画全体を鑑賞できやしない。要するに、美術作品を鑑賞するためのプロトコルがまったく身 についていないのだ。
 隙間には割り込むべしというのは、不足がちな生活物資を手に入れるときに自然と身についた所作なのかもしれない。戦後中国の庶民生活史を思うと、それも仕方ないのかもしれない。でも、ここは博物館。美術品は逃げていかないのだから。
 しかし、かれらが美術鑑賞のマナーを身につけるのに、そう時間はかからないに違いない。かつての日本人がそうだったように。

 ただ、以前の故宮博物館にはもうすこしゆとりがあり、展示された文物の品格の高さが醸し出す気品と緊張感があったように思う。しかし、もうあの故宮博物館は戻ってこないだろう。だって、発展する大陸中国では、ここを訪れようと13億の人びとが列を作って待っているに違いないから。
 大陸からやってきた観光客たちのよろこび一杯の表情を心から祝福するとともに、失われた博物館の凛とした緊張感と気品を懐かしく思った。

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