2009年11月24日火曜日

ロンドンでタクシーに置き忘れたマックが帰ってきた


先月後半、ロンドンに出張したとき、帰国に際して市内からヒースロー空港まで乗ったタクシーにうかつにもパソコンを置き忘れてしまった。仕事もすんで、ホッとして、ホテルのバーでジンを引っかけてから乗車したのがまずかった。
空港に着いてチェックインしようとした時、マックを入れたバッグをタクシーの座席に置き忘れていたことに気付いた。ちょっとしたパニック。
チェックインもそうそうに、ホテルに電話をして、タクシーの運転手に連絡を取ってもらった。さいわい連絡が付き、座席に置き忘れたマックを確保してもらえた。これで一安心。
でも、あらためて空港に持ってきてもらうには、フライトの時間が間に合わない。どうしようかと悩んだ結果、ロンドン大学の大学院に留学しているN 君にホテルまでマックをとりにいってもらうことにした。学生をこういうことに巻き込むのは、公私混同。最低の解決法だった。N君、ごめんね。でも、本当にありがとう。
私のくだらない失敗に嫌な顔すらせず付き合ったくれたN君のおかげで、フェデックスでマックが日本に帰ってきた。13000円。高かい授業料だった。
ところで、フェデックスのトラッキングサービスはなかなか面白い。荷物が、今、どこにあって、どんな処理を受けているかネットで追跡できる。
それで分かったことは、ぼくのマックは、ロンドンからパリに空輸され、そこで集荷されたたくさんの荷物と共に日本に飛んできたということだった。
今回の旅では、当初、パリにも寄りたいと思っていたのに、日程的にロンドンだけになってしまったけれど、ちゃっかりマックだけは、パリ滞在を実現できたということか。美味しいフランス料理を食べられなかったマック君は、かわいそうだったけれど。

2009年11月20日金曜日

「不法」就労というけれど〜中国人労働者逮捕のニュース報道をみて

■東京都が配布した外国人「不法」就労防止のポスター
こんなポスター作る前にすることはたくさんあるはず。
さすがに、石原が支配する東京都はデリカシーがない。

 11月19日にTBS系のニュース番組で、福井県の老舗温泉旅館で仲居として働いていた中国人女性と、彼女を旅館に斡旋していたブローカーの男性が、入管理法違反で逮捕されたことが報道されていた。
 テレビでは、彼女たちを雇用していた旅館に記者が客として潜入し、その仲居さんに「日本語上手いですねえ」などと声をかけるなど、隠しカメラで撮られたと思われる映像が放送されていた。そして、ニュースのヘッドラインには、「不法就労を摘発」といった表現が踊っていた。
 しかし、このようなニュースに接するとき、私たちは、「不法」という言葉がいかなる意味で使われているのか、慎重に考える必要があるのではないだろうか。
 彼女たちは、働かずに賃金をだまし取っていたわけではない。また、密入国したわけでもないし、犯罪を犯したわけではない。旅館の仲居というけっして楽ではない労働を、日本人よりも少ない時給750円という低賃金で引き受けていたのであり、人としての道に反することは何らしていないというべきだ。
 彼女たちは、たしかに「人文国際ビザ」という研究者や通訳のためのビザで入国し、単純労働に従事していたわけだから、違法には違いない。しかし、「不法」という言葉のもつ強烈な否定的イメージと、彼女たちの労働の実態との間のギャップは埋めがたく大きい。
 この中国人仲居さんたちの行為を、ニュートラルに表現するなら、ビザで認められた種類の労働に就かなかったわけだから、「無資格」とか「資格外」就労とかいう表現が、まだしも適切な表現なのではないか。放送する側のセンスのなさに落胆すると同時に、そのような表現を気にも掛けないメディアの背後にあるものを懸念する。
 外国人労働に的確な政策を持たず、ひたすら排外的な視線しか向けないこの日本の社会は、一方で、資格外就労の安価な外国人労働力に依存しながら、他方で、ときどきこのように鳴り物入りで外国人労働者を検挙し、見せしめにする。
 当局の取り締まりで資格外労働を根絶することが、構造的に不可能なことは分かっているのに、メディアも取り締まり当局といっしょになって、彼女たちをまるで極悪人のように報道する。そもそも、逮捕以前に、テレビが仲居さんたちの就労状態を撮影できたということは、当局から事前に情報を入手したか、あるいは、当局に情報を提供したかのどちらかとしか考えられない。このことは、メディアがすでに取り締まり当局と一体化し、同じ目線で外国人たちを見つめていることを雄弁に物語っている。
 それを思えば、このような報道は、資格外労働者をチープで劣悪な労働条件に押し込めるための社会的仕組みの一部として機能しているといっても言い過ぎではないだろう。「おまえたちは、いつ検挙されても文句が言えない不法な労働者なんだぞ。文句をいわずに、劣悪な労働条件で働け。さもなくば、出て行け」という悪徳ブローカーの片棒のようにすら見える。
 思えば、まだ日本が貧しかった頃、海外に留学した日本人私費留学生の多くが隠れてアルバイトしたものだ。とくに、物価の高かったアメリカでは、留学生の多くが、移民局の捜査にびくびくしながら働いていた。抜き打ちの取り締まりで逮捕されれば、もちろん、強制送還が待っている。そうすれば、二度と入国できなくなる。その弱みにつけこむように、使用者が支払う賃金は安く、労働条件は劣悪だった。でも、アルバイトしなけらばならないせっぱ詰まった事情が、そのようなリスキーな就労を余儀なくさせた。
 今日、結構な大学や企業、報道機関で重要なポストに就いているエグゼクティブの中にも、実は、そのような留学時代を経験している人物たちがすくなからずいる。普段は偉そうな顔をしている彼らも、実は、自分が幸運にも逮捕、強制送還されなかったから今があることをよく知っている。たとえ留学時代の限られた経験でも、弱者の立場を経験したことの意味は小さくない。それが、この社会を酷薄なものにしない歯止めの一部となっていたように思う。
 しかし、日本が一見豊かになり、外国人労働者がやってくるような国になって以来、この社会は、弱い立場の外国人と視線を共有する想像力を失ってしまったように思う。ニュースをつくる側が、弱者に対する想像力と共感力を失った後、当然の帰結としてやってきたのが、勝ち組が我が物顔をする格差社会だった。テレビは、その勝ち組たちといっしょに踊った。
 そのような現象の傍らで、メディアに就職するということが就職戦線の勝ち組であることのひとつの証になっていった。メディアに就職した勝ち組たちの視線は、当然弱者に対して冷たく薄情だ。しかし、多くの学生たちが、そのような感覚に取り付かれ、その歪んだ構造に気付いていない。このような歪んだ社会に、どのような未来が待っているのだろうか。あこがれのテレビ局に就職することを夢見る無邪気な学生たちに接するたびに、そのことを思うのである。