2010年2月3日水曜日

映画「おとうと」を観た

画像:公式サイトより
http://www.ototo-movie.jp/

 「おとうと」を観た。
 山田洋二の映画は、けっしてストーリーのリアリズムではない。彼のリアリズムは、小道具、大道具などセットのリアリズムだ。そう改めて思った。 「男はつらいよ」も同様である。ストーリーは荒唐無稽だけれど、役者たちが演じる背景の空間の描写はみごとにリアルだ。(ただし、とらやは、1960年代 で時間が止まっているのだが。)家屋、生活財、服装などなど、みごとに登場人物の社会階層やライフスタイルに適合している。映画の1カットをスチル写真にすれば、ドキュメンタリーと見まがうだろう。
 たとえば、弟が借りた借金を姉が肩代わりして返すシーンで、吉永小百合が演じる姉が、虎の子の預金をおろしに行くシーンがある。何度も出し入 れしたような角のとれた通帳、取り立てに来た女のヒョウ柄のスカートとケミカルシューズのパンプス、返済を確証するために、記入を求める領収書の、半分以 上切り取られて耳が残ったつづり。細部にまできちんと的確に考証が行き届いていてリアルだ。現実離れしたおとぎ話のようなストーリーと対照的な、このモノ的世界 のリアリズムに、観客はまるでそれが現実に起こっているかのような錯覚に誘い込まれる。
 私が、山田の作品が好きな理由は、まさにその点だ。山田とそのスタッフたちの社会を観察する目の確かさを感じる。「おとうと」でも、そのモノ的リアリズムはきちんと生きていた。
 ところで、ストーリーについてひとつ感想を述べたい。映画では、姪の結婚式で、鶴瓶演じるおっさんが、酒を飲んで演歌を歌ったり、応援団のまねごとをしてはしゃいだりする。これが出席者からひんしゅくをかって、披露宴がぶちこわしになるという設定になっている。
 しかし、関西の結婚式では、この手のおっさんは五万といる。ごく見慣れた風景だ。実際、自分の経験を振り返ってみても、その位の事態はありふれた出来事だった。(何を隠そう、私の指導教授がこの手のおっさんなのだ)
 もしこの程度のおっさんが許容できないというなら、東京はけっして大阪を受容できないだろう。つまり、これは、こまった弟を持つ真面目な姉の物語というより、大阪人を永久に理解できない東京人のカルチャーショックの物語といえるのかもしれない。

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