2010年7月18日日曜日

日本語の何を大切にするのか

Jリーグの川淵さんもアルファベットで書き初めしている。

日曜の朝、母といつものように「サンデーモーニング」を観ていた。風を読むのコーナーで、最近、英語を公用語にする企業が増えてきた現象を取り上げて、日本語の問題を取り上げていた。観ていて、あいかわらずだなあと思った。
国際共通語としての英語は、ビジネスで必要だといいながら、一方で、日本語のすばらしさや固有の価値を説く。日本文化はすばらしい、日本語もすばらしい。この伝統を守れ!と合唱する。
しかし、日本語のどこが固有なのだ。中国語じゃないのか? だって、漢字で満たされているじゃないか。それも漢字が書けないと日本語の能力に欠けるような言い方が大手を振って歩いているじゃないか。
これだけ中国製の文字と表現を取り入れながら、日本文化の独自性と固有性を主張して恥じないというところに、言語ナショナリズムの愚かさがあるのではないか。
言語は、世界各地との文化交流や技術移転、経済支配や交易の中で、融通無碍に変化、発展してきたもので、もともと固有性やオリジナリティなどというものは、希薄なのだ。
日本などは、とりわけそうだろう。中国文明の影響を受けて、模倣と流用を繰り返してきた。その結果が、これほどまでの漢字の重用ではなかっただろうか。
しかし、明治以後の近代化の過程では、ヨーロッパ近代科学や社会科学の概念を漢字熟語に翻訳し、近代化に遅れをとっている中国に輸出したことも事実だ。たとえば、科学、社会、哲学、経済・・・などなど、挙げればきりがない。
日本語の優れた力をあえてあげれば、異種の言語から融通無碍に文字や概念や音を取り込むことができる能力なのではないか。
愚かな本居宣長のような「やまとことば」崇拝思想に毒されず、英語公用語化を受け入れながら、他方で、漢字検定に熱中できる、こういう人びとの節操のないところが、この言語の真の底力なのではないのか。
だとすれば、ひとつ提案がある。1500年前に中国から漢字を輸入し、また、漢字で構成された概念をそのまま借用したように、いっそのこと、外国語の文字と概念とそのまま、原語のまま、原音のまま、日本語の中で使用するようにすればどうだろう。
現在は、外来語という分類を当てられたことばは、カタカナで表記され、原音とはまるで異なった擬音を割り当てられて発音されている。そもそも、中国生まれの漢字を使っていながら、「外来語」などという分類概念を使っていること自体、欺瞞なのではないか。それなら、いっそのこと、しっかりとあらゆる文字と発音を平等に受け入れてはどうだろう。

そうすれば、たとえば、ウィキペディアの以下のような文章

「世界中どこでもマクドナルドやケンタッキー、コカコーラ、ウィンドウズが見られる光景は結局アメリカ国内で見られる文化を他国に輸出しているに過ぎず、「グローバリズム」ならぬ「アメリカニズム」であり、「グローバルスタンダード」ならぬ「アメリカンスタンダード」でしかないと考えられている。地域固有の文化を淘汰する傾向が多いため、左派のみならず、ナショナリストからも批判されている。」

は、こう書くことになる。

「世界中どこでもMcDonald'sやKFC、Coca-Cola、Windowsが見られる光景は結局America国内で見られる文化を他国に輸出しているに過ぎず、globalismならぬ「Americanism」であり、「global standards」ならぬ「American Standard」でしかないと考えられている。地域固有の文化を淘汰する傾向が多いため、左派のみならず、nationalistからも批判されている。」

こうして、漢字だけではなく、アルファベットもアラビックもどんどん取り込んでいく。日本語じゃなくなるって? いや、これこそ生命力みなぎる日本語らしい日本語だといえるのではないだろうか。

2010年6月11日金曜日

小泉進次郎の尻を追うテレビ局は恥を知れ


小泉進次郎が、菅直人の所信表明演説に対して、メディアで発言していた。それも、いっぱしの口を利いて。「またも、トラストミーですか」などと生意気な口を利いていた。
親の七光りがなければ、けっして20代で当選などできなかっただろうこのドラ息子に、メディアは発言させつづけている。たいした意見もないのに、かならずテレビは、この男のコメントを取り上げる。
そうだろう。マスコミ、とりわけテレビ局には、コネで就職した旧政権与党の政治家たちのドラ息子やドラ娘がひしめいているからだ。政権交代後、こういうやつらの肩身は狭くなっただろう。旧与党のコネなど、無意味になった。
こういうドラ息子ドラ娘にとって、小泉進次郎は、希望の星なのに違いない。だから、バカの一つ覚えのように、小泉進次郎に一言しゃべらせたいのだろう。そして、あわよくば、夢よもう一度と、旧政権の復活をもくろんでいるのだ。
いいかげんにしろ。たかだかアメリカに遊学した程度で、国会議員になれるなら、私の周辺には、その程度の資格をもつ有意な若者は五万といる。しかし、彼らは、親の七光りがないために、いまだ就職先さえ見つからずに苦労しているのだ。
小泉の親も親なら、子も子だ。新自由主義の旗を振って、多数の若者を派遣労働に追いやったくせに、自分の息子だけは、世襲の特権を享受させた。その小せがれも、親バカに諾々としたがって、シャーシャーと国会議員のバッヂをつけて喜んでいる。恥を知れ。まともな男なら、親バカを諫めるくらいのことをしろ。
まさに、彼らこそ、コネ万能の不平等社会のシンボルではないか。
こういう政治家には、絶対に二度と議席を与えてはならない。
小泉進次郎に派遣労働の辛苦をなめさせよう。それこそ、今、必要な社会的正義の実践というべきだ。

2010年5月26日水曜日

生豆から入れるコーヒーのもうひとつの楽しみ


 数年前からeカフェというマイクロコンピュータ制御の全自動のコーヒーメーカーを使って、朝、コーヒーを入れている。
 とても優れもののコーヒーメーカーで生豆を上部の穴から入れ、タンクに水を入れておくと、全自動で豆の皮を剥き、ローストし、粉に挽いてくれて、最後に、お湯を注いで、コーヒーを入れてくれる。
 生豆を仕掛けて、コーヒーが入るまでには、10分くらいかかるけれど、その間待つのがまた楽しい。最初、カリカリと皮を剥く音が聞こえてくる。 この音がなかなかかわいい。つぎに、熱が加わって豆がローストされていく。ちょっと香ばしい匂いがしてくる。うっすらとマシンから紫煙が立ち上っているの が分かる。そして、つぎにガリガリガリと豆を挽く音と共に、お馴染みの馥郁としたフレーバーが部屋一杯に広がる。このガリガリ音が終わるや、ボコボコボコ という湯が沸騰する音とともに、熱湯が挽かれたコーヒー豆に注がれて、ガラスのサーバーが褐色の液体で満たされていく。
 これで、コーヒーの一丁上がり。生豆からコーヒーが入れられていくすべての行程を楽しむことができるなんて、本当に贅沢だなあと毎朝思うのだ。
 ただ、問題は、なかなか生豆が手に入らないことである。その辺のスーパーなんかには売っていない。神戸元町まで出かけて生豆を買ってくることも ある。面倒だと思っていたら、最近、あちこちのフェアトレードのNPOが運営するお店で生豆を見かけることが増えた。アフリカやアジアの発展途上国の農家 が栽培したコーヒーが生豆で輸入され、売られている。
 売り上げの大半は、現地の農家に正当に還元される仕組みになっているらしく、生豆を買うことが、途上国の農民に対する支援にもなっているのだ。
 コーヒーは、長い間、植民地の大規模プランテーションで栽培され、世界を股に掛ける巨大企業によって、流通を独占され、プランテーションで働く 農民たちは、ただただ大企業に搾取され、奴隷のように働かされてきた。ブラジル、コロンビア、キリマンジャロ(アフリカ)、トラジャ(インドネシア)など など、名だたるコーヒー産地のほとんどがそのような欧米の多国籍企業による搾取と市場支配の産物なのである。
 これらの企業が、最大の武器にしているのが、ロースト、つまり焙煎の技術だそうだ。生豆は貧しい農民でも作ることが出来る。しかし、それを美 味いコーヒーに仕上げ、先進国の口の肥えた消費者を満足させるためには、焙煎が必要だ。その焙煎工程のノウハウを大企業が独占している。そして、その過程 で、価格は何倍にも、いや何十倍にも、化けるのだ。
 実際、フェアトレードのお店の店頭にならぶ生豆を自宅に持って帰っても、それを焙煎するのは、大変だ。煎りゴマをつくるようには、うまく焙煎 できないから、コーヒーの味も安定しない。失敗すると、飲める代物にはならない。だから、せっかく生豆を買って、途上国の農家を支援したいと思っても、長 続きしない。
 でも、我が家のようなコーヒーメーカーを使えば、苦労なく美味しいコーヒーが生豆から作ることが出来る。
 これって、ずごいことじゃないだろうか。日本中の心ある消費者が、このコーヒーメーカーを自宅に備えれば、途上国の農民の作った豆をコーヒー企 業を抜きにして、フェアトレードを通して、直接、買うことができる。そうすれば、多国籍企業に中抜きされずに代金を現地の農民に渡すことも出来るだろう。 これも、コンピュータの正しい使い方のひとつに違いない。
 そんなこんなで、最近、我が家では、東チモールのコーヒーを飲んでいる。インドネシアの支配からやっと独立を勝ち取った東チモールの農民が 作った生豆。毎朝コーヒーを楽しみながら、生豆を作った農民たちのことを想い、ちょっとした支援ができることのよろこびも噛みしめている。
e-cafeのサイトは

http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/nanbu-coffee.com/g/K122/index.shtml

2010年5月22日土曜日

変貌する京都の中心市街地


 蒸し暑い梅雨の季節がそこまできている。
 昨日は、京都の大学で講義をしてから、烏丸丸太町界隈で飲んでから帰宅した。
 地下鉄丸太町駅から地上に出ると、京都商工会議所のビルの一階はカフェになっていて、美味しいアールグレーをポットで飲ませてくれる。そこでいつも大学同窓の悪友(本人は紳士だと自称しているのだが)と待ち合わせをして、近場の居酒屋に繰り出す。昨夜もそうだった。
 最近は、四条河原町界隈に出ないで、烏丸丸太町界隈で飲むことが多くなった。というのも、京都も、中心市街地は、もうまったく古都の風情はなくなってしまい、カラオケ、風俗、パチンコがところかまわず氾濫して、まるでススキノみたいになってしまったからだ。
 昔よく通っていたミューズというクラシック音楽喫茶店が木屋町にあったが、そこが焼き肉屋に変わってしまい、高瀬川ぞいにあった、凝ったカクテルを飲ませてくれるショットバーの錦は、もつ鍋屋になってしまい、洋書店 の丸善ビルは、ジャンカラのカラオケビルになってしまった。その周辺に虫食いのようにファッションヘルスの風俗店が進出して、黒服が客を引くようになっ た。
 不況なんだろう。高いテナント料を払えるのは、手っ取り早く稼げる風俗店だけなんだろうか。風俗店が進出すると、小路全体の雰囲気がどっと品が悪くなってしまい、せっかくそこに素敵なおばんざいを食べさせてくれるようなお店があっても、よりつく人はいなくなってしまう。
 悪貨は良貨を駆逐するというわけか。もう京都の中心市街地は、凋落の一途だと思う。雰囲気が殺伐として、荒廃していくのが止まらない。
 それを象徴するように、阪急百貨店の四条河原町からの撤退が決まった。撤退のニュースを聞いて、みんなびっくりしているが、わたしは驚かなかった。というのも、阪急百貨店の周辺の小路は、もうすでに風俗店ばかりになっていたから。
 そんなところで高級雑貨は売れない。
 今のところ、風俗店は鴨川を越えて祇園側までは進出していないようだ。しかし、川を越えるのは時間の問題だろう。そうなれば、歌舞伎の南座は、深刻なイメージ劣化を被るだろう。そのうち、移転するなんて話も出るのかも知れない。
 一方、丸太町や今出川界隈には、たくさん町屋が残っていて、その風情を生かしたレストランや料理屋、小物を売るショップが増えてきた。古い町屋 を上手に改造して、京都らしさを演出していて、なかなか楽しい。中心市街地が荒廃していくのと対照的に、歩いていても楽しい、新しい京都がこの界隈に生ま れつつあるように思う。
 地下鉄が京都駅から烏丸通りを北に延びたために、人の流れが、烏丸丸太町や烏丸今出川など北に向かいつつあるように思う。それに対して、旧中 心市街地の四条河原町界隈は、京都駅から直接アクセスできなくなった。かつては、祇園、木屋町、先斗町を後ろに控えて、阪急電車の終点として栄えた四条河 原町界隈は、世紀を超えた時点で、確実にその繁栄に終わりがきたように思う。
 千年の古都も激変しつつあるようだ。
(写真は商工会議所1階のワールドカフェ)

2010年5月11日火曜日

新しい革袋に古い酒〜日経Web刊のTVCM


日経WEB刊の創刊を告げるテレビCMが流れている。そのうちの一つに鼻白らんでいる。どんなCMかといえば、そば屋で課長さんがWEB刊で油田を発見して、そのまま、ドバイに飛んで、アラブのどこかの王室の皇太子然とした男と油田の共同開発事業で握手している、そんなCMだ。

みていてガックリである。いまさら中東の石油はないだろう。炭素エネルギーから脱炭素エネルギーへの革命的な転換が世界中で進行している時代に、中東に飛んで、よりにもよって、旧世紀の寡頭政治の遺物のような人物と握手するのが、このWEBメディアの効用だというのである。

ネット戦略で大統領になったオバマは、指名受諾演説でこう宣言した。
「アメリカの経済、安全保障、そして、地球の将来のために、10年以内に、中東からの石油に対する依存を終わらせます」
ネット時代の大統領にふさわしい宣言だろう。

それと比べて、日経WEB刊がWEBを使った新しいメディアだというなら、今更、中東の石油に色目を使うCMはなんとも陳腐ではないのか。

「新しい革袋には、新しい酒を」である。新しい革袋に古い酒しか入っていなければ、誰も飲みはしないだろう。こんな発想のCMでは、このメディアの将来もその程度のものでしかないのだろうか。

2010年3月28日日曜日

多文化の街づくりを長田から世界へ・ネットラジオの外国語番組で


27日土曜日の夜、久々にラジオの英語番組に出演した。神戸・長田のコミュニティFMラジオ局FMYYで夜8時から放送しているSoundwaveという英語番組。
阪神淡路大震災以来、神戸に住む在日外国人コミュニティと被災市民がいっしょになって立ち上げた多言語放送局であるFMYYが、震災後15年の経 験をもとに、多文化の街づくりを進めてきた神戸の経験をまとめた英語版の冊子を出版し、同時に、それを特別番組として放送したのだ。その出版を進めるプロ ジェクトの代表ということになっていて、昨夜は、その特別番組にゲストとして出演した。番組はFMの電波と同時に、インターネットラジオ番組としても放送 された。
英語番組に出るのは、何年来のことだろう。昔、文部省の研究所で研究員をしていたとき、太平洋の島々やニュージーランド、オーストラリアなどを 回ってメディア教育の調査をしていたとき、ニュージーランドやフィジーのラジオ放送局にゲストで出演したことがあった。以来、番組出演はテレビもラジオも いろいろとあったけれど、英語番組は久しぶりだった。
だいだい英語で話すと話が長くなる傾向があった。語彙が足りないところに、日本語みたいに早口に話せない。で、勢い説明的になり話が長くなる。 話すと止まらなくなる。局のスタッフからは、簡潔に話してくださいと言われていた。そこで、スタジオに入る前にメモを作って簡単に話をまとめておいた。
ところが、スタジオに到着してみると、担当の番組が終わった連中がスタジオの下にあるバーでワインやビールで楽しくやり始めていた。「やー、土 曜にお越しなんて、おめずらしい」と見知った顔に声を掛けられ、駆けつけ3杯と、ワインをグラスに3杯飲んだ。それで勢いがついて、生放送が始まる午後8 時までには、もうすっかりできあがってしまった。
気がつくと、もう8時。これじゃまずい、と思う間もなく、スタジオに連れて行かれ、番組が始まってしまった。ところが、しずかなスタジオに入ると、突然、眠気が襲ってきた。
番組の進行役のエド君の声が、また城達也なみの低くて、ささやくようないい声。あぶない!もうまったく眠ってしまいそう。ガクッと一瞬意識が飛んで頭がのけぞった。すかさず、ディレクター役の吉富さんが脇腹を突っつきに飛んできた。
そんなこんなで危なかったが、それでも、まあメモを頼りに言いたいことはしゃべり、なんとか1時間の生放送は終わった。いただいた出演料は、すべてその夜の内に、スタッフといっしょにアルコールとなって消えた。めでたし、めでたし。
番組は、ポッドキャストでも聴くことができる。
http://www.tcc117.org/fmyy/20100327_soundwaves.mp3
それにしても、聴いてみて気がつくのだけれど、わたしの英語は、ホントにハワイなまりのピジン英語だと思う。ハワイのおばあちゃんたちに知らせたら、「おまえもすっかりロコ(ハワイ育ちの土地っ子)になったねえ」と言われるかもしれないなぁ。

2010年3月6日土曜日

自分の趣味に子どもを巻き込む親〜日産セレナのCM

 日産セレナのCMは、嫌いだ。
 最近流行のボルダリング(岩登り)に親がはまっているのは、まあ個人の趣味だから、何も言うつもりはない。でも、このCMに登場する親は、本当に罪作りだ。
 子どもを自分の趣味に巻き込んで、岸壁を登らせる。ところが、子どもは途中で怖くなって、立ち往生してしまう。それでも、親は叱咤激励して、最後まで登らせる。子どもには、選択の余地がない。親が命綱を握っているからだ。そして、登り終えたところで、子どもは泣いてしまうのだ。それを親はうまくなだめたのだろう。最後に、笑顔が戻って、めでたしめでたし、というストーリーだ。
 しかし、こんな残酷で、身勝手な親心はない。
 子どもは、親が褒めてくれたり、関心を持ってくれたり、喜んでくれたりするのに敏感だ。本当は、そんなことをしたくなくても、親の顔色を読んで、親の先回りをする。きっとこの子も、親の趣味に付き合わされているだけなのに、自分もやりたいと言わされたのだろう。身勝手な親は、子どもが自発的に選択したのだという言い訳を自分に信じ込ませ、子どもを岩登りに追いやったに違いない。途中で、恐怖に怯える子どもにも、お構いなしの親。それを、試練への挑戦だとか、適当な言い逃れをして、最後まで、やらせる。やらせたいのは、親のエゴだ。子どもは、親の願望に、必死になって答えようとしているだけではないか。
 こんなCMは、大嫌いだ。だいたいワンボックスカーなんて存在自体が、子どもに対する親の家族サービスという大きなお世話の代名詞みたいなものだ。子どもなんて、子ども同士つるませて、その辺の路地裏や公園にほったらかしておけばいいのだ。
 と気がつくまでには、私も、同様のことをたくさんやってきた。だって、かくいう私も、かつてセレナに乗っていたからだ。気付くのが遅かった。