2025年10月28日火曜日

女性を大衆扇動に使う時、なぜ青い衣を着せるのか。


優れたアーリア人男子の出産を奨励する、ナチスの優生政策の宣伝ポスター(右)に描かれたドイツ人女性が、青い衣装を身に着けているのは、偶然ではない。

キリスト教文化において、青い衣は聖母マリアのシンボルであり、ヨーロッパ絵画において、慈愛の象徴である聖母子像に描かれるマリアは、ラファエロの聖母子像(左)がそうであるように、たいがい青い衣をまとっている。

このように、その絵画中の人物が何者であるかが分かる随伴物のことを、図像学ではアトリビュートというが、青い衣は聖母のアトリビュートだ。ナチスは、その聖母の慈愛とは対極の優生政策を宣伝するポスターに聖母のアトリビュートを借用したのだ。それは、その政権が遂行する冷酷な事態をカモフラージュするための手段だった。


青い衣を着た女性イメージは、大衆扇動に利用される。女性政治家サッチャーも、青いスーツをまとうことが多かった。彼女は、弱者への福祉を切り捨て、優勝劣敗の新自由主義政策の旗振り役を演じた。政権が聖母の慈愛と真逆の政策を選択する時、その旗振り役として女性の政治家が選ばれ、その女性はカモフラージュとして聖母の象徴である青い衣をまとう。

ところで、高市新首相も、青いスーツを着ることが多い。Googleで高市早苗を画像検索し、最近の彼女の服装の色をカウントしてみると、直近の100画像のうち、青色の衣装が65件あった。初めての所信表明演説でも、青いスーツに身を包んでいた。保守強硬派の旗頭となった彼女のプロパガンダも、それに習っているのだろうか。

2025年4月25日金曜日

デジタル・ディストピア 〜大阪関西万博がさし示す「未来」〜

 大阪・関西万博が始まった。ゴミの島に化粧を施し、必死でお祭りを装うが、それでも、あちらこちらから引火性ガスが吹き出し、草むらには危険な外来害虫が潜み、日陰のない吹きさらしの人工島に熱中症の危険が迫る。それでも、知らぬふりをして、楽しそうなイベントや展示に興じる。

一部の良心的な市民団体やネットジャーナリズムは、賭博場との抱合せを目論む開催決定過程を批判し、廃棄物処理場を転用する危険性を指摘し続けている。しかし、国家も地方自治体も経済団体もマスメディアも、この催事型資本主義のシンボルのような博覧会に同調しつづけている。

生命を脅かすような危険と不確実性の存在を知りながら、まるでそれが無視できるか、あるいは、制御可能なように装い、巨大イベントに人々を動員する。動員される大衆も、実は、その危険と不確実性を知りながら、イベントに飛び込んでいく。

会場で見聞きするものは、すでにどこかで観たようなデジタル技術で加工、生成されたフェイクな展示物(像)だ。そして、それにたどり着くためには、個人がなけなしの賃金を絞り出して購入した高価なデジタル端末がなければ、入場すら叶わない。自分の現在地すらわからない。

多国籍化した巨大テック企業と、個人データの収集を虎視眈々と狙うヘルス企業と、ソーシャルメディアで大衆の支持をかき集めるポピュリズム政党と、その背後にひそむ賭博産業。それに過剰同調する大衆。

デジタル化されたディストピアとは、こういうものに違いない。その一点において、今回の万博のテーマ、「未来社会のデザイン」はみごとに表現されている。