2014年2月10日月曜日

ETV特集「戦時徴用船〜知られざる民間商船の悲劇」を観た。

ETV特集「戦時徴用船〜知られざる民間商船の悲劇」を観た。無謀な戦争で、南太平洋に伸びきった補給線を維持するため、ロクな援護もなく物資輸送に投入された民間商船。要員の死亡率は、海軍軍人のそれより高かったという。
 彼らが向かった目的地の1つ、ソロモン群島のガダルカナル。かつて調査で行ったことがある。島の野外マーケットで、往時の日本軍のヘルメットが、鉄さびになって売られていた。無残だった。まして、軍人でもない船員たちの死は、もっと不条理だったろう。
 番組の後、調べたら、日本殉職船員顕彰会という団体が、慰霊の活動をしていた。そのHPに、太平洋戦争の開戦理由がこう書かれていた。
「太平洋戦争は、開戦に至るまでの経緯はともかく、直接的な動機は米英を中心とする連合国のわが国に対する経済封鎖、なかでもその殆どを米国に依存していた石油が、米国の「対日石油全面禁輸」によって確保出来なくなったことが、わが国が開戦に踏み切った最大の要因であった。」
 読んでいて、心がなえるのを感じた。「開戦に至る経緯はともかく…」とは何事か。それが一番追及されるべきだろう。満州事変、日中戦争…。無謀で利己的な対外政策。それらの結果が招いた石油禁輸だったのではないか。
 「石油の禁輸が開戦に踏み切った要因」というのも、単純なプロパガンダだ。当時の日本の消費エネルギーの大半は石炭と薪炭だった。石油がなくて困ったのは、動力源をほぼすべて石油に依存していた軍だった。石油禁輸で戦争ができなくなるから、戦争を始めたのが真相だろう。すくなくとも、エネルギー問題の専門家たちは、そういっている。
 戦死した船員たちの無念を慰霊するのは、よいことだ。しかし、だからといって、手前勝手な理屈で内輪だけの顕彰を続けてよいものだろうか。他者と認識の共有をはかる努力が必要なのではないのか。
 靖国問題や慰安婦問題についても同様のことなのだろう。
 「理解を得る」といいながら、内向きの論理に浸り、他者の言い分を聞かず、一方的に理解しない相手を非難するのでは、相手もこちらの言い分に耳を傾けてくれないだろう。そんなギャップの行き着く先が「開戦」なのではなかったのだろうか。