2025年4月25日金曜日

デジタル・ディストピア 〜大阪関西万博がさし示す「未来」〜

 大阪・関西万博が始まった。ゴミの島に化粧を施し、必死でお祭りを装うが、それでも、あちらこちらから引火性ガスが吹き出し、草むらには危険な外来害虫が潜み、日陰のない吹きさらしの人工島に熱中症の危険が迫る。それでも、知らぬふりをして、楽しそうなイベントや展示に興じる。

一部の良心的な市民団体やネットジャーナリズムは、賭博場との抱合せを目論む開催決定過程を批判し、廃棄物処理場を転用する危険性を指摘し続けている。しかし、国家も地方自治体も経済団体もマスメディアも、この催事型資本主義のシンボルのような博覧会に同調しつづけている。

生命を脅かすような危険と不確実性の存在を知りながら、まるでそれが無視できるか、あるいは、制御可能なように装い、巨大イベントに人々を動員する。動員される大衆も、実は、その危険と不確実性を知りながら、イベントに飛び込んでいく。

会場で見聞きするものは、すでにどこかで観たようなデジタル技術で加工、生成されたフェイクな展示物(像)だ。そして、それにたどり着くためには、個人がなけなしの賃金を絞り出して購入した高価なデジタル端末がなければ、入場すら叶わない。自分の現在地すらわからない。

多国籍化した巨大テック企業と、個人データの収集を虎視眈々と狙うヘルス企業と、ソーシャルメディアで大衆の支持をかき集めるポピュリズム政党と、その背後にひそむ賭博産業。それに過剰同調する大衆。

デジタル化されたディストピアとは、こういうものに違いない。その一点において、今回の万博のテーマ、「未来社会のデザイン」はみごとに表現されている。