2026年2月9日月曜日

サンドラとカサンドラの苦い邂逅 〜衆議院選挙の結果を前にして〜 サンドラ・ハーディング(「無知学」研究者) と カサンドラ(「ギリシャ神話」トロイの王女)

 日本に研究滞在中のコリアン系女性研究者が送ってくれた研究論文に、サンドラ・ハーディングのスタンドポイント理論が引用されていた。ハーディングはフェミニスト哲学者としてと同時に、「無知学」の研究者としても著名で、彼女の、支配集団(多数派)の無知についての論考には深く首肯するところだった。ハーディングは、抑圧を受けない支配集団は、現在の社会秩序や不正義に対して関心が低く、無知で ある傾向をもつと述べている。もっといえば、無知でいられる特権を享受していると言ってもよい。

今回の衆議院議員選挙の結果に接して、この「多数派の無知」の典型だと思った。事実に裏づかない外国人政策、経済学的知見を無視するような経済政策。それを振りかざす首相に「強そうで人気がある」と言って追従する多数派の群れ。ハーディングのいう「多数派の無知」とは、まさにこのことではないか。


ハーディングは、そんな多数派の無知に対して、「抑圧を受けている、不利なスタンドポイント(立場)にある集団 は、そのためにかえって支配的な集団に対して認識的な優位性をもちうる」と説いている。ようするに、マイノリティの声に耳を傾けることが、真理に近づく重要な道だというのだ。そのとおりだと思う。実際、今回の選挙でも、多様なマイノリティたちが現首相の言説を危ぶむ声を発していた。しかし、その声は無視された。


それを観ていて、不吉な想いにかられた。
ギリシャ神話に登場する、トロイの王女・カサンドラのことだ。彼女は、するどい予知能力をもつが、アポロンの呪にかかり、彼女の予言は誰にも信じてもらえない運命を持たされる。
マイノリティたちが示す優れた認識や警告も、マイノリティに対する共感を失い、ヘイトすらしかねない多数派によって無視され、結局、社会に受け入れられない、カサンドラの予言に終わるのではないか。そして、社会は引き返し不可能点を超えて、望まない方向に進んでいるように想える。

ところで、アポロンは、なぜカサンドラに呪いをかけたか。美しい彼女の気を引こうと、アポロンは予知能力をカサンドラにプレゼント。すると、未来のアポロンの浮気を予知したカサンドラは、アポロンの誘いをきっぱり拒否。怒ったアポロンは、彼女の予言は無視されるという呪いをかけたというお話。だから、トロイ戦争もギリシャ軍の木馬作戦も見抜いていたカサンドラの予言は無視され、トロイ軍はギリシャ軍の罠に落ち、敗北してしまう。

カサンドラ、アポロン、トロイ軍は、それぞれ、女性、権力、男性社会を象徴している。だから、カサンドラ(女性)の焦燥と絶望は、先が見通せるだけ、深く辛いのだろう。

「ママ、戦争とめてくる」といって投票所に向かった女性たちの、未来をみる目のたしかさと、同時に焦燥を想う。

実は、女性である高市氏も自分のプロパガンダが導く未来を見抜いているに違いない。それは、確実に中国との戦争につながる道だ。しかし、彼女は、その明晰な予言を隠して、無知の特権にどっぷり浸かる多数派には「強い日本」などという耳あたりのいいプロパガンダを連呼しつづける。そして、密かに満たされなかった承認欲求と自尊感情の回復を求めて走り続けるのだろう。

2025年10月28日火曜日

女性を大衆扇動に使う時、なぜ青い衣を着せるのか。


優れたアーリア人男子の出産を奨励する、ナチスの優生政策の宣伝ポスター(右)に描かれたドイツ人女性が、青い衣装を身に着けているのは、偶然ではない。

キリスト教文化において、青い衣は聖母マリアのシンボルであり、ヨーロッパ絵画において、慈愛の象徴である聖母子像に描かれるマリアは、ラファエロの聖母子像(左)がそうであるように、たいがい青い衣をまとっている。

このように、その絵画中の人物が何者であるかが分かる随伴物のことを、図像学ではアトリビュートというが、青い衣は聖母のアトリビュートだ。ナチスは、その聖母の慈愛とは対極の優生政策を宣伝するポスターに聖母のアトリビュートを借用したのだ。それは、その政権が遂行する冷酷な事態をカモフラージュするための手段だった。


青い衣を着た女性イメージは、大衆扇動に利用される。女性政治家サッチャーも、青いスーツをまとうことが多かった。彼女は、弱者への福祉を切り捨て、優勝劣敗の新自由主義政策の旗振り役を演じた。政権が聖母の慈愛と真逆の政策を選択する時、その旗振り役として女性の政治家が選ばれ、その女性はカモフラージュとして聖母の象徴である青い衣をまとう。

ところで、高市新首相も、青いスーツを着ることが多い。Googleで高市早苗を画像検索し、最近の彼女の服装の色をカウントしてみると、直近の100画像のうち、青色の衣装が65件あった。初めての所信表明演説でも、青いスーツに身を包んでいた。保守強硬派の旗頭となった彼女のプロパガンダも、それに習っているのだろうか。

2025年4月25日金曜日

デジタル・ディストピア 〜大阪関西万博がさし示す「未来」〜

 大阪・関西万博が始まった。ゴミの島に化粧を施し、必死でお祭りを装うが、それでも、あちらこちらから引火性ガスが吹き出し、草むらには危険な外来害虫が潜み、日陰のない吹きさらしの人工島に熱中症の危険が迫る。それでも、知らぬふりをして、楽しそうなイベントや展示に興じる。

一部の良心的な市民団体やネットジャーナリズムは、賭博場との抱合せを目論む開催決定過程を批判し、廃棄物処理場を転用する危険性を指摘し続けている。しかし、国家も地方自治体も経済団体もマスメディアも、この催事型資本主義のシンボルのような博覧会に同調しつづけている。

生命を脅かすような危険と不確実性の存在を知りながら、まるでそれが無視できるか、あるいは、制御可能なように装い、巨大イベントに人々を動員する。動員される大衆も、実は、その危険と不確実性を知りながら、イベントに飛び込んでいく。

会場で見聞きするものは、すでにどこかで観たようなデジタル技術で加工、生成されたフェイクな展示物(像)だ。そして、それにたどり着くためには、個人がなけなしの賃金を絞り出して購入した高価なデジタル端末がなければ、入場すら叶わない。自分の現在地すらわからない。

多国籍化した巨大テック企業と、個人データの収集を虎視眈々と狙うヘルス企業と、ソーシャルメディアで大衆の支持をかき集めるポピュリズム政党と、その背後にひそむ賭博産業。それに過剰同調する大衆。

デジタル化されたディストピアとは、こういうものに違いない。その一点において、今回の万博のテーマ、「未来社会のデザイン」はみごとに表現されている。






2015年9月19日土曜日

SEALDsたちの集会に参加して〜不安と恐怖の感情政治を超えるもの

9月18日夜、参議院で集団的自衛権の行使を容認する安保関連法案が可決されようとしていたとき、SEALDs関西の学生たちが主催する、梅田ヨドバシカメラ前の集会に参加した。周辺は、数千人の群衆であふれていた。
 街宣車の上の若者たちの演説には、すばらしいものがいくつもあった。民主主義の本質を的確に表現し、質が高く、よく吟味され、みずみずしい表現にあふれていた。僕らの時代に流行ったアジ演説の悪しき伝統は影も形もなかった。
 学生たちは、教室でこんな表情をみせてくれることはあまりないのかもしれない。しかし、今、目前の彼らの言葉は、たとえば「民主主義に観客席はありません」と訴える女子学生の言葉は、心から共感と希望に満ちたものであった。
 集会の後、残念ながら、安保関連法案は参議院で可決されたが、しかし、集会に参加して多くの肯定的な手応えを得た。なにより、私自身が、若い世代の学生 たちに対して抱いていたシニカルな幻滅感から解放されたことである。彼らなら意志を繋いでくれるに違いない。そう感じた。
 安倍政権は、一貫して、中国や北朝鮮に対する安全保障上の脅威を煽り、不安感情をテコに法案を押し通そうとした。軍事的脅威と不安による感情政治は、たしかに人々を駆り立てる効果的な道具立てに違いない。しかし、人々は、いつまでそれに耐えられるだろう。
 他方、SEALDsの学生たちの演説は、すくなくとも、そのような不安や恐怖を煽ることを避け、むしろ、不安に駆られている人々の感情的緊張を緩和するような、民主主義に対する希望や主権者である人々に対する暖かな共感にあふれているようにみえた。
 これは、彼らによって意図的に選ばれた戦略かもしれない。しかし、それは、正しい戦略だ。それは、安倍政権の不安戦略より、はるかに上質だからであり、不安でこわばった人間の心を解きほぐすからである。(行動療法的戦略といえるかもしれない。)
 健康不安を抱え、政敵への不信にとりつかれた初老の世襲政治家が語る不安と恐怖の言説と、若々しい学生たちが語る民主主義へのみずみずしい希望と共感の言説が、国会の内と外で対峙している。おそらく前者に勝ち目はないだろう。

2015年7月19日日曜日

敗戦70年〜非戦の決意を伝える北信濃の小さな寺の「石の鐘」の物語


 太平洋戦争下、金属類回収令によって供出させられた梵鐘の代わりに吊るされた「石の鐘」を、戦争の記憶を忘れず、非戦の誓いを守るために、吊るし続ける小さな寺が北信濃の小さな町にある。長野県信濃町、浄土真宗本願寺派「称名寺」。
 戦後
70年、戦争の記憶が薄れる中、憲法解釈が内閣の独断で変更され、海外派兵に道を開く法案が強行されようとしているこの夏、危機感をもって、この鳴らない「石の鐘」に込められた誓いを新たにする集会が開かれた。

 北信濃の黒姫山麓、長野県信濃町にある小さな寺、浄土真宗本願寺派「称名寺」の鐘つき堂には、梵鐘の代わりに、大きな自然石のかたまりが吊るされている。この鳴らない石の鐘は、太平洋戦争下、昭和17年、国家総動員法にもとづき、不足する金属を供出させる金属類回収令によって失われた梵鐘の代わりに、吊るされた「おもり」だった。重い梵鐘を失うと、鐘つき堂は安定が崩れ、倒壊の恐れがあったからである。
 この金属の供出は、寺の梵鐘だけではなく、社会の隅々におよび、子どものおもちゃから台所の鍋釜にも及んだという。

 戦争が終わり、多くの寺では梵鐘の再建が行われたが、この寺では、鳴らない石の鐘を吊るし続けた。戦争の悲惨を記憶に留めるためだった。それは、副住職(当時)の佐々木五七子さん(1929年生)の強い非戦の意思に根ざしていたといわれる。
 それは、また、近在の農家から満蒙開拓青少年義勇軍の兵士として、半ば強制的に満州に駆りだされ、その多くが帰らなかった少年たちをなすすべもなく見送った五七子さんの忸怩たる悔恨の思いに発するものだった。
 
1938年から敗戦までの8年間に義勇兵として駆り出された少年たちは、10万1千人。中でも長野県は、最大の6千500人もの義勇兵を送り出した県となった。
 以来、70有余年、過去には、新しい立派な梵鐘を寄贈したいという多くの申し出があったが、五七子氏は、それを謝辞し続け、石の鐘は鐘つき堂に吊るされたまま、現在に至っている。
 この石の鐘のエピソードを、同じ信濃町にある黒姫童話記念館の館長、和田登氏が敗戦70年に『石の鐘の物語〜イネ子の伝言』(かもがわ出版)という児童文学として作品化した。2015年7月18日、集会は、この作品のお披露目を兼ね、長野県の9条の会が主催して開かれた。
 会場となった信濃町総合センターの
2階大ホールは、300人以上の人々が参集し、ほぼ満席となった。人口9千人たらず(2010年)の小さな町の集会である。人々の関心の高さが伺えた。

 私は、この信濃町にあるナウマン象の化石で有名な野尻湖畔に小さな山小屋をもって22年になる。しかし、これまで、迂闊にもこの石の鐘のエピソードを知ることはなかった。今夏、安保関連法案に反対する各地の活動をネットで検索していたとき、偶然、長野県の情報の中にこの活動のことを発見し、強い関心をいだいた。そして、ぜひこの集会に参加し、また、この寺を訪ね、石の鐘をみてみたいと思うようになった。春学期が終了した日、台風接近の中、街頭にひびく安保法案反対の声にエールを送りつつ、この黒姫山麓の町にやってきた。
 集会に先立って、この石の鐘の実物を見ようと称名寺を訪ねた。県道96号線を信濃町から飯山市に抜けるあたり、富濃集落の中にある小さな寺である。石の鐘が吊るされている鐘つき堂の脇には、立派なシダレヤナギの老木があり、春にはそれを目指して訪れる観光客も多いという。参道の脇には、紫陽花が咲乱れ、紫陽花の花群をとおして、鐘つき堂がみえた。
 参道を登り切ると、中央に本堂、右手に住職が住む庫裡があった。事前に訪問を告げていなかったので、住職は不在で、庫裡の玄関は閉じられていた。逆の左手側に、鐘つき堂が静かに建っていた。
 たしかに、石の鐘が吊るされていた。屈強な大人の男でも、一人では抱えきれないような大きな自然石。失われた梵鐘に対する惜別の思いを表そうとしたのだろうか、その表面にはかすかに「梵鐘記念 昭和十七年…」と彫り込まれた文字が伺えた。
 石の鐘の手前には、鐘を衝く木の
橦木(しゅもく)も吊るされてはいるが、いたずらに石の鐘を撞いて壊さないように住職が橦木の位置をずらしたのか、その先には肝心の鐘はなく、ただ中空を無為に揺れ動くだけになっていた。鐘つき堂から石の鐘の向こうに目をやると、そこには、夏を迎えた北信濃の農村風景がおだやかに広がっていた。

 集会は、午後5時から始まった。会場の信濃町総合会館の2階大ホールは、参集した人々の熱気のせいか、普段は黒姫山からの冷風のため冷房設備のない部屋はすいぶんと蒸し暑かった。
 集会では、最初に、元信濃町町議会議長の中沢則夫氏と真宗明専寺副住職の月原秀宣氏から「戦争を語りつぐ」というテーマのスピーチがあり、それに、石の鐘の寺の住職、佐々木五七子さんのトーク、そして、『石の鐘の物語』の著者で黒姫童話館館長の和田登氏のトークが続いた。途中、真宗児童文学会の柳沢朝子氏による物語の朗読も披露された。トークの司会は、シンガーソングライターの清水まなぶ氏が務めた。清水氏が作った石の鐘をテーマにした歌の披露も行われた。
 トークのなかで、五七子さんが聴衆に向かって繰り返し語りかけた言葉が印象的だった。「私がいいたいのは、これだけです。地球はひとつ、和をもって尊しとなす。これが大切です」と。

 また、物語の作者である和田登館長は、五七子さんの言葉をうけて、次のようなことを語った。
 「今日に戦争を考える際に、どうしても落としてしまうことは、加害者の側に立った想像力を働かすことだと思います。戦争を題材にした多くの児童文学作品がありますが、それらは兵隊になって戦争に出て行ったお父さんを失う悲しみを描いていますが、その出て行った兵隊たちがなにをしたかは描かれていない。向こうにいって何をしたかという実態をもっともっと私達は知るべきだと思うのです。」
 そして、和田氏は、戦時下の子どもたちの間で流行した「夕やけこやけ」の替え歌を披露し、子どもたちの戦争への悲しみと反感がよく表されていると付け加えた。
  夕やけこやけで日が暮れない。
  山のお寺の鐘鳴らない。
  戦争なかなか終わらない。
  カラスもおうちに帰れない。
 集会は、このあと、清水なまぶ氏が、自ら作った大陸引き上げの歌を歌い、最後に、北信出身の高野辰之作詞の「ふるさと」を参加者全員で「兎追いしかの山、コブな釣りし…」と歌い解散した。

 長野は教育県だという。その真面目さと勤勉さは、軍国主義を浸透させる上でも、好都合だったのかもしれない。満蒙開拓義勇軍の志願者を集めるために、その勤勉さは効果を発したのだろうか。けっして豊かではない、山村のすみずみから多くの純真な少年たちが、国家の掛け声に呼応して、大陸に向い、果てた。それらを送り出した側の人々の悔恨の思いは、筆舌につくせないものだったろう。
 戦後、その反省の上に、平和と非戦のための教育が長野の人々の心のヒダの深くに浸透してきたのだと、集会に参加して感じた。戦後の平和憲法、とりわけ憲法9条は、これらの人々にとって、かけがえのない到達点であり、なにがあっても守り通すべき楔なのだろう。
 このようなユートピア的な非戦論が、今日世界の中で、どのような現実的有効性を発揮しうるかについては、「9条で国は守れない」と疑問をなげかける人もいるに違いない。しかし、このようなユートピア的非戦論が、まだ人々の心の中に深く刻みこまれていることが、国家権力の安易な軍事的冒険に対して、根源的な防塁となっていることを忘れてはならない。
 そもそもユートピア的非戦論を訳知り顔に笑う人たちだって、どれだけ世界の現実を知っているといえるのか。それは、かつての勇ましい帝国日本への危険な回帰願望を今風の言説に包んでいるだけかも知れない。
 国際貢献の名の下に、自衛隊を海外派兵し、武力行使できるかつての国家へとこの国を回帰させようとする為政者たちの野心の前に、北信の素朴な村人たちのユートピア的非戦論は、やさしさと力強さをもって立ちはだかっている。



 



 

2014年6月6日金曜日

格差社会に参入するアトム型ロボットを天国の手塚はどう思うだろう

6月5日夜のNHKニュースウオッチのトップニュースは、ソフトバンクが新発売する人型ロボットだった。人と対話できるロボット、あたかも感情的な会話もできるように設計されている。でも、足元を見ると、平坦な床しか移動できそうもないし、重いものを持ってくれそうもない。20万円近い高額商品。なにに使える のかと問えば、老人ホームで、お年寄りの話相手になれるらしい。
 めまいがする。老人ホームでは、生活も出来ないような給料で介護職員たちが働いている。重労働や夜勤で体をいためる職員も多い。その労働をロボットが助けるというならわかる。しかし、もっとも人間がやるのが相応しい感情のコミュニケーションや心の癒やしをロボットにやらせて、重労働は低賃金の人間がやる。
 日本の人型ロボット開発のモデルは、長い間、鉄腕アトムだった。アメリカン・コミックが描くような無骨な鉄塊のロボットではなく、手塚は人間の友達としてアトムを作った。その背景には、人種差別に対する批判が込められていた。奴隷としてではなく、ロボットにも人権を与え、平等な社会を構想した。やさしい友達としての人型ロボット…その夢を日本のロボット技術開発は追ってきた。
 しかし、今、新自由主義経済の下、人間に対する格差や不平等を合理的だと肯定する社会が目の前にある。人間を平然と差別する社会に、人間と友達のように振る舞う人型ロボットが参入する。しかし、この人型ロボットは、会話しかできず、人間の辛い労働を助けない。
 もっとも、格差によって分断された社会にあって、お金はあるが孤立した人々の癒やしの道具として、ソフトバンクの人型ロボットは役立つかもしれない。しかし、人型ロボットと楽しく戯れるお金持ちたちのそばで、過酷な低賃金の労働者たちがもくもくと働く。そんなグロテスクな社会が目前に迫っている。
 天国の手塚は、それをどう眺めているのだろうか。

2014年2月10日月曜日

ETV特集「戦時徴用船〜知られざる民間商船の悲劇」を観た。

ETV特集「戦時徴用船〜知られざる民間商船の悲劇」を観た。無謀な戦争で、南太平洋に伸びきった補給線を維持するため、ロクな援護もなく物資輸送に投入された民間商船。要員の死亡率は、海軍軍人のそれより高かったという。
 彼らが向かった目的地の1つ、ソロモン群島のガダルカナル。かつて調査で行ったことがある。島の野外マーケットで、往時の日本軍のヘルメットが、鉄さびになって売られていた。無残だった。まして、軍人でもない船員たちの死は、もっと不条理だったろう。
 番組の後、調べたら、日本殉職船員顕彰会という団体が、慰霊の活動をしていた。そのHPに、太平洋戦争の開戦理由がこう書かれていた。
「太平洋戦争は、開戦に至るまでの経緯はともかく、直接的な動機は米英を中心とする連合国のわが国に対する経済封鎖、なかでもその殆どを米国に依存していた石油が、米国の「対日石油全面禁輸」によって確保出来なくなったことが、わが国が開戦に踏み切った最大の要因であった。」
 読んでいて、心がなえるのを感じた。「開戦に至る経緯はともかく…」とは何事か。それが一番追及されるべきだろう。満州事変、日中戦争…。無謀で利己的な対外政策。それらの結果が招いた石油禁輸だったのではないか。
 「石油の禁輸が開戦に踏み切った要因」というのも、単純なプロパガンダだ。当時の日本の消費エネルギーの大半は石炭と薪炭だった。石油がなくて困ったのは、動力源をほぼすべて石油に依存していた軍だった。石油禁輸で戦争ができなくなるから、戦争を始めたのが真相だろう。すくなくとも、エネルギー問題の専門家たちは、そういっている。
 戦死した船員たちの無念を慰霊するのは、よいことだ。しかし、だからといって、手前勝手な理屈で内輪だけの顕彰を続けてよいものだろうか。他者と認識の共有をはかる努力が必要なのではないのか。
 靖国問題や慰安婦問題についても同様のことなのだろう。
 「理解を得る」といいながら、内向きの論理に浸り、他者の言い分を聞かず、一方的に理解しない相手を非難するのでは、相手もこちらの言い分に耳を傾けてくれないだろう。そんなギャップの行き着く先が「開戦」なのではなかったのだろうか。

2014年1月15日水曜日

 今日はマーチン・ルーサー・キングJr.記念日

今日、1月15日は、人種差別に反対し、公民権法の成立に命を賭したマーチン・ルーサー・キング Jr牧師の記念日です。人種差別は過去のアメリカの話ではなくて、「在日」外国人に対する憎悪をむき出しにしたヘイトスポーチが拡大しつつある今の日本の 重大課題だと思います。1・17を前にして、この日の重さについてもしっかりと受け止めたいと思います。

 ワシントン大行進で行われたキング牧師の歴史的スピーチは、Youtubeで視聴できます。
http://www.youtube.com/watch?v=HRIF4_WzU1w
 その日本語訳は、アメリカ大使館の以下のサイトで読むことが出来ます。
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html

2012年4月21日土曜日

災害とメディアの役割〜スタンド・バイ・ミーの幻聴〜

阪神淡路大震災の直後、東京に暮らしていた私は、被災地の東端に位置する尼崎で暮らす年老いた両親の安否を確かめるため、一人リュックサックに食料や水を詰め込んで実家に向かった。さいわい実家は倒壊を免れていた。さらに尼崎市は停電からも免れていた。しかし、市境である武庫川を挟んで、西宮市は停電と断水が続き、復旧の見通しも立っていなかった。

両親の無事を確認した私は、持参した食料と水を西宮市の知人宅に届けるべく、夕闇の迫る武庫川の鉄橋を渡った。冷たく凍るような夜が迫っていた。橋の中央まできたとき、くっきりと明暗をわける武庫川の向こう側に佇む被災地を見つめた。しんしんと冷え渡る冬の月明かりの中に、それはくろぐろと横たわっていた。

そのとき、突然、ジョンレノンのスタンド・バイ・ミーがどこからか聴こえてきたような錯覚に陥った。

夜が来て
周囲が暗闇に落ち
月の光しか見えなくなっても
僕は 怖くない
君がそばにいるだけで
Stand by me

その歌は、被災地から地を伝わって響いてくるようにも思えた。その幻聴を聴きながら私は気づいた。こうしてここに被災地をみつめている自分がいる。災害の巨大な破壊力にくらべれば、私、いや人間の力はあまりにも小さく無力だ。しかし、ここに被災地をたしかにみつめている自分がいる。そのことを目の前に横たわる暗闇の中にいる人々に伝えたい。その気持はこらえようもなく高まっていった。
そして、そのとき私は、何があっても被災地をずっと見つめ続けていこうと密かに心に誓った。それが、私にできるもっとも確かなことのようにも思えた。

以来、自分自身で、あるいは、友人たちと、あるいは学生たちと、被災地支援のさまざまな活動に携わってきた。手応えを感じることもあったし、無力感に襲われることもあった。しかし、冴え渡る冬の橋の上で誓った、「見つめ続けていく」という心だけは曲げずに来た。

そして、今、災害とメディアの問題をメディア研究者の端くれとして考え、さまざまな提案や議論をする機会もあるのだが、いつも私の心の奥にリフレインしているのは、あの武庫川の橋の上で聴いたスタンド・バイ・ミーなのだ。
それは、メディアが災害時に果たす重要な役割でもあるに違いないのだ。被災地に寄り添い、被災者の声を聴き続けること。災害が起こった直後だけでなく、人々が災害から復興していく、その長く苦しい、孤独な過程にずっと寄り添って、見つめ続けていくこと。そして、それを被災地に伝え続けること。そのことが、もっとも大切なメディアの役割のひとつなのだと思う。

もし見上げる空が砕け散っても
山々が海まで崩れ落ちても
僕は泣かない
涙をこぼさない
君がそばにいるだけで
Stand by me

2011年4月4日月曜日

チェコ国民博物館が構築する民族の大物語



 イスタンブルに研究出張した帰路、すこし足を伸ばしてチェコのプラハを訪ねた。3日間ほどの短い滞在だったが、中欧の民族主義運動に以前からすこし関心を持っていたので、今回の訪問は、スメタナの名曲「我が祖国」に代表されるような、この小さな中欧の国の民族主義の来し方を自分の目で確かめる上でとても有意義だった。
 社会主義体制からビロード革命を経て、資本主義社会の仲間入りをして、はや20年以上たった首都プラハは、その世界的に有名な美しい建築群の表層をけばけばしい商業広告で埋め尽くしながらも、なお美しい街並みを誇っていた。
街並みの見学も楽しかったが、いつものように、訪問国の歴史博物館をのぞくのも、興味深かった。チェコの歴史博物館といえば、国民博物館である。その名の通り、この博物館は、チェコ民族の創世に始まり、その連綿と続く歴史を歌い上げるために、1891年に建設された、ネオルネッサンス形式の荘厳な博物館である。
 少々、大袈裟なファッサードを抜け、館内に足を踏み入れると、そこには、民族の創世神話に登場する女性像や偉大な王たちのブロンズ像が並び、訪問者をチェコ民族の大きな物語へと誘うのである。展示フロアーは3層から成っており、最上階から下へ下りながら、多くのこの手の博物館に観られるように、自然史、考古学的発見、古代史から中世史へと展示が繰り広げられていく。そして、最後に、チェコの政治史や学芸史に貢献した数多くの人物たちのブロンズ像が巧みに配列された、赤絨毯が敷き詰められた大広間に足を踏み入れることになるのである。
 これらのブロンズ像として登場する人物たちこそ、チェコ民族の歴史物語を語る登場人物として、欠くことのできない人々である。そして、これらのブロンズ像に誰が登場し、だれが登場しないかを調べていくことは、なかなか興味深かった。全体をここに記すことは、冗長であろう。いくつか興味を引いた点を挙げれば、政治家の中には、プラハの春を指導したドプチェクはいなかった。作家には、チャペックはいたが、カフカはいなかった。ようするに、この広間を彩るブロンズ像群には、まだビロード革命後の歴史再評価は及んでいないのだろう。
 ただ、しかし、興味深かったのは、たんに誰が登場し、誰が登場しないかという問題だけではない。その人物たちが、どのような配置関係を持っているかという点であった。
 中でも、四角形の広間の手前の一辺を除く3つの辺には、互いに対面しあうように3対の立像が配置されていた。
 正面の左右には、パラッキーとスタンバークが対面し、左袖には、マサリクとフス、右袖には、ネルーダとコメンスキーがそれぞれ対面していた。
これらに加えて、フスの傍らには、スメタナとドボザーク、その反対側のコメンスキーの傍らには、チャペックの像が配置されていた。
 興味深かったのは、これら3対のブロンズ像の組みが何を意味するか考えてみることだった。
 まず、パラッキーとスタンバークの対を考えてみる。パラッキーは、19世紀のチェコに生きた歴史学者であり、チェコ民族をドイツ民族との対抗関係において記述し、また、カトリックに抵抗したフス派の運動をたんなる異端宗派ではなく、チェコの国民主義運動の萌芽と位置づけたチェコ人の歴史観に大きな影響を与えた人物である。これに対し、スタンバークは、植物学者、昆虫学者で、1820年にボヘミアで最初の自然史博物館を開設した人物である。つまり、左にチェコの民族史、右に自然史を象徴する人物を配していて、この軸は、ようするにチェコ民族の領土(自然史)と歴史をめぐる言説のアカデミックな理性による構築を意味する軸であり、博物館という空間を左右に貫く、もっとも基本的な軸というべきものである。
 一方、右辺の軸は、ネルーダとコメンスキーの対面によって構成されている。コメンスキーは、17世紀の宗教家・教育者で、宗教戦争後、チェコを追われ、終生故国には戻れなかったが、チェコ民族の復興にかかる著作を著し、その未来における復興という神話的言説を予告したことで有名な人物である。これに対し、ネルーダは、19世紀の作家で、チェコ愛国主義の復興に力を尽くした人物である。あらかじめ予告された民族の予言と復興という大きな物語の成立と完成にかかわるこの二人の人物が象徴する軸は、まさに民族の大物語の完成に費やされた歴史的時間に係わる軸というべきだろう。
 これに対し、左辺の軸は、マサリクとフスの対面によって構成される。フスは、14世紀の宗教家である。堕落したカトリック教会を批判し、チェコ語による説教で多くの民衆の支持を集めた。ルターによる宗教改革より100年も前に宗教改革の理念を提示したが、コンスタンス公会議によって有罪とされ、火刑によって命を絶たれた。しかし、フスの宗教理念を受け継ぐフス派の宗教運動は、チェコ民族主義の先駆的形態として、パラッキーら後の歴史家たちに評価され、今日にいたっている。その像に対面するマサリクは、19世紀、近代における民族主義運動の指導者であり、オーストリア・ハンガリー帝国からの独立運動を指導し、1918年、チェコスロバキアの独立を勝ち取った。マサリクとフスを結ぶ軸は、いわばチェコ民族主義の政治的覚醒と情念を象徴する軸といえるかもしれない。
 博物館を左右に貫く民族の理性という軸とそれぞれ直交する民族の政治的覚醒とあらかじめ予告された民族の歴史という二つの軸によって、この博物館は理性、情念、時間の3つの糸によって編み上げられた民族の大物語を構築しているのだといえよう。

2011年4月1日金曜日

公共広告(AC)はどこをむいているのか


震災報道が始まると、通常CMは恐れ入って自粛し、それに代わってACジャパン(旧:公共広告機構)の公共広告がテレビメディアを席巻していく。こういうパターンは、災害時メディアの基本モードになってしまった。それがよいとか悪いとかいうつもりはない。実際、多くの被災者が命の危機に直面し、水や衣料品など、生命を維持する基本的な物資にも事欠く事態に直面しているとき、大量消費を謳歌するようなCMがまったく場違いな印象を人々に与えることはいうまでもないからだ。
しかし、その代替として繰り返し流される公共広告は、もっともな公共善や善行を人々に呼びかけているようにみえるが、すこし奇妙なメッセージをそこに発見しているのは、私だけだろうか。
たとえば、「今、私たちにできること」というタイトルで流されるテレビ広告がそうだ。この広告では、震災際して私たちができるさまざまな行動が呼びかけられている。しかし、その真っ先に呼びかけられる行動が、節電なのである。現地への義援金や支援の呼びかけよりも、節電が優先されるのだ。
どこか変である。東電のエリアなら、それなりに理解できる。計画停電への協力を訴えかけているのだろう。しかし、私がこの広告を視聴しているのは、関西電力のエリアである。たしかに節電は意味のあることだろうが、それが被災地への支援になるという重要度のプライオリティは、きわめて低い。周波数の違う関西・中部・九州・四国からは、ぜいぜい100万キロワットくらいしか電力を被災地には送れないからだ。それなのに、なぜ、今、節電なのか?
この不可思議な呼びかけの背後には、今日のマスメディアのゆがみがいくつか透けて見える。
まず、東京で作られる情報を全国民に押しつけるといういつものやり方だ。東京のニーズが日本のニーズだといわんばかりだ。間違ってはいけない。電気が足りないのは東京だけだ。東京以外の住民は、普通に電気をつかって暮らしていて悪いわけはない。そもそも、普段から不夜城のように電飾で街を飾り立て、湯水のように電気を浪費してきた、その旗頭は東京だったではないか。そのライフスタイルを死にものぐるいで維持するために、福島や柏崎に原発を作ってきたのが東京電力だ。首都圏に住む人びとは、原発が建設される地方の苦悩を観て見ぬふりをしてきたではないか。
その原発が使い物にならなくなって、自分の足許の電気が足りなくなった途端、今度は、上から全国民に向かって節電を説教する。あんたに言われなくとも、節電など、とっくにしている。マリーアントワネットに節約を説かれて激怒したパリ市民の気分と同じ気分を地方の視聴者は感じたことだろう。
つぎに、なぜ被災地への支援より節電なのか。節電の背後には、電力の危機をことさら強調しようというなんらかの意図があるように思えてならない。その背後に、原発はやはり必要だという影のメッセージを読み取るのは私だけだろうか。自然エネルギーへの切り替えや代替エネルギーへの提案など、原発依存構造をみなおすことなく、ただたんに電気が足りない、節電せよというメッセージばかりを「公共」の名を借りて流すことは、ほんとうに公共の利益になるのだろうか。
公共広告機構の会員に名を連ねるのは、これまでの産業構造を支えてきた旧世代の企業たちだ。これらのスポンサーが押しつけてくる「公共福祉」が、ほんとうにこれからの未来の私たちにとって「公共福祉」になるのか、この際、じっくりと考え直してみるべきなのである。

2011年3月17日木曜日

抑圧移譲という「おきて」


写真:丸山真男(政治学者)
 戦後を代表する稀代の政治学者である丸山真男が、日本の官僚政治システムの特徴として指摘した、たいへん有名な原理がある。「抑圧移譲」という原理だ。
 組織の上位にあるエリートが、自分の責任を逃れるために、一方的で理不尽な命令や圧迫を「上」から「下」へ次々と移譲していくことで、最終的に組織の一番下位に位置する弱者が、一身に組織全体の責任を押しつけられ、圧迫の犠牲になるという原理である。(丸山真男『現代政治の思想と行動』未來社、1964年)
 3月15日早朝、福島原発事故について苛立ちを募らせた菅首相は、東京電力本社を急襲し、「一体どうなっているんだ」と怒号を発し、事故を処理するのは「あなたたちしかいないでしょう」「覚悟を決めてください。撤退したときには、東電は100%つぶれますよ」などと恫喝したとメディアは報じた。
 震災が発生して以来、福島原発がすべての電力を喪失し、このような事態に向かってつるべ落としに転がりだして以来、対策を東電に任せっきりにし、放置してきた自分の責任は棚上げにして、東電幹部を恫喝したのだ。これこそ、典型的な抑圧移譲ではないか。
 恐ろしいことは、きっと恫喝された東電組織の中では、上から下へと、次々と抑圧が移譲されているに違いないということだ。そして、その抑圧移譲の最終の末端は、昼夜を徹して原子炉の冷却に奔走している現場に違いない。その中には、たくさんの下請け業者の労働者たちもいるだろう。そして、かれらに対して、会社の上層部は、こう耳打ちしているに違いない。
「今回は、死んでくれないか。あんたが放射能を浴びるのを覚悟で原子炉を冷却してくれれば、東電は生き延びれるじゃないか。会社があればこそ、あんたも、あんたの家族も路頭に迷わない。いいだろ。今回は死んでくれ。お願いだ」
 こうして現場は、かつて多くの若者が特攻隊に志願させられたように、死地に追い込まれていくのではないのか。そう思えてならない。
 メディアは、死んでいった彼らを英雄として褒め称えるだろう。自らを顧みず、日本を救おうとしたヒーローであると。しかし、騙されてはいけないのだろう。その美談の背後に、戦前から戦後へと連綿と生き延びてきた抑圧移譲の原理が、厳然と機能し続けているのだ。

 
 
 
 
 

「放射線は怖くない」プロパガンダを超えて


 政府とメディアは福島原発事故の収拾がもはや不可能であることに気づいているのだろう。放射能の不安に怯える一般国民をなだめるために、一斉に「放射線は怖くない」プロパガンダを開始したのではないか。そんな予感がする。
 政府の広報装置と化している地上波TVでは、原子力業界の御用学者がつぎつぎと動員され、「マイクロシーベルトは大したことない」「普段から放射線に囲まれて暮らしている」「放射能対策は花粉症対策と同じ」といった言説を振りまいている。
 こういう状態の中で、きちんとした情報を提供してくれるのは、たとえば、USTREAMで記者会見を中継している原子力資料情報室くらいだ。原子力資料情報室は、湯川秀樹の再来といわれた原子物理学者、故高木仁三郎氏が設立した市民団体である。
 それを観れば、放射線に許容量などという概念が適応できるのは、急性障害についてのみで、晩発性障害(つまり、放射線によって傷つけられたDNAによって引き起こされるガンなどの疾病)は被曝した放射線量とみごとな相関関係を示していることが分かる。そこには、閾値などというものはない。
 人類は、いや、あらゆる生命は、普段から危険な放射線に抗して自らのDNAを守り、生存を続けてきたのである。だから、自然界にも放射線はあるから大丈夫なのではなく、だからこそ、さらなる放射線への被曝は避けなければならないのだ。
 しかし、そのような放射線被曝の危険を自覚しながらも、私は、放射能汚染の不安のある被災地への救援を躊躇するべきではないと考えている。
 数十年前、当時まだ衛生状態の悪かったタイを、ある高名な老農学者に導かれてフィールドワークしていたとき、その老農学者から次のような教訓を学んだ。その老農学者は、私にこう問うた。

「フィールドで、運悪く君が脱水による熱中症に陥ったとしよう。君の前には、メコン川の白濁した流れしかない。その水を飲めばアメーバ赤痢に感染するのは必至だ。しかし、それを飲まねば熱中症で死ぬだろう。さあ、君はどうする?」

 「究極の選択」問題を投げられて、答えに窮している私に、その老農学者は、こう言った。

「もちろん、躊躇せず、メコンの水を飲むんだよ。まず、今そこにある命を守れ。それがなにより大切なのだ。」

 晩発障害を怖れて、今、そこにある命の危機に対処しないのは、愚かだ。
 たとえ、晩発障害の可能性があったとして、今、命の危機にある被災者に手をさしのべないで、人の道が全うできるわけがない。
 どこかの国の政府のように、放射能に怯える自国民の脱出のために、ただでさえ不足している被災地のガソリンを占有し、被災者の命をさらに危機に陥れるような行動はするべきではないのだ。
 「放射線は怖くない」というメディアのプロパガンダのうそを見抜き、「放射線は危険だ」と認識しながらも、しかし、今、そこにある命を助けるのを躊躇してはいけない。今、必要なのは、そのような認識なのではないか。

2011年3月6日日曜日

「外国人」の政治献金を禁止するとはいうが・・・


 前原外務大臣が中学校時代からの知人だという在日韓国人の焼き肉店経営者から政治資金を受けていたことが、政治資金規正法に違反するといって、メディアは進退問題だと大騒ぎしている。国会質問で詰問する自民党議員は、まるでゾルゲ事件を追及する特高検事を彷彿とさせ気味が悪かった。
 しかし、頭を冷やして考えるべきだろう。外国人から献金を受け取ったとはいうが、献金者は在日コリアンだ。かれらの大半は、戦前から何代にも亘って日本に定住し、かつてはれっきとした日本国籍を持っていた日本国民だったが、戦後、一方的に日本国籍を剥奪された人々とその子孫なのだ。日本生まれの日本育ち、もしアメリカやフランスで生まれていたなら、当然、自国民としての市民権(国籍)を取得しているのである。政治資金規正法の外国人献金禁止規定の本来の趣旨からみれば、問題はきわめて限定的なはずだ。
 それにしても、「外国人」を排除するという日本の偏狭さは、ほとんど病的だ。
 ごく最近まで、空港の入国管理ゲートには、「外国籍パスポート保持者」を「エイリアン」と表記していた。「外国人」という言葉を聞いただけで、魔物に遭遇したかのように、恐怖を感じ、身構える。こういう言語感覚のゆがみに無感覚のまま、政治資金規正法を作り、その違反者として前原を、鬼の首を取ったように追及する。その異常さに、気づくべきなのだ。
 しかし、前原自身、そういう言語感覚を利用し、愛国者の顔を売り物にしてきたのではなかったか。今回の出来事で、日頃の自分自身の危険な言葉遣いが、いかにヒステリックで不毛な事態を生じさせてしまうか、前原自身も、冷静に反省してみるべきだろう。

2011年3月4日金曜日

しょせんカンニング、目くじらを立てすぎないように


 京大や早稲田、同志社の入試で、携帯電話とヤフーの知恵袋を利用したカンニングが発覚し、「犯人」の予備校生が逮捕された。メディアは大騒ぎし、警察はまるでテロリストでも捕まえたかのような物々しさだ。カンニングは不正であることは言を待たないが、この騒ぎ方と逮捕は明らかにやりすぎだ、と私は思う。
 しょせんカンニングではないか。「偽計業務妨害罪容疑」などと騒ぐから、話は大袈裟になる。入学試験も基本的には教育活動の一環なのだから、教育上のトラブルは、教育的に処理されるのが原則ではないか。せいぜい受験者全員の公平性の観点から、カンニングした受験生の合格取り消しで十分だろう。
 警察に被害届を出した京大の偉そうなおじさんたちの記者会見をテレビでみていて、ふと40年ほど前、某大学の定期試験で起こった大量カンニング事件を思い出した。
 その年の定期試験に限って、大量のカンニング事件が発生したのである。それら発覚したカンニングのほとんどは、ゼロックス機の縮小コピー機能を使ったカンニングペーパーによるものだった。事件に直面した教授陣は「われわれが学生だった頃は、カンペは苦心して自作したものだ。安易に縮小コピーなど使うとはけしからん」と続発を大いに怖れ、学部長名による特別警告声明を発表し、見せしめ的にきびしい処分を実施した。
 しかし、しょせん学生たちにとってみれば、ひごろ当たり前に使っている日常的テクノロジーを使っただけで、なにも、かれらが格別に悪賢いわけではないし、悪質だったのでもない。そして、なぜその年だけカンニングが多発したかと言えば、なにを隠そう、大学院生としてその年だけ試験監督のアルバイトをしたこの私が、視力2.0という眼力を活用して熱心に仕事をしたからにすぎない。今回の事件も、ヤフーの知恵袋を熱心にチェックしていた閲覧者がいたからに過ぎないだろう。
 今回のカンニングを、IT技術を駆使した犯行とか騒ぐのはいささか大袈裟だろう。かれらにとって、日常的ツールをちょっとルールをやぶって使ってしまっただけなのだから。大騒ぎするのは、入試を実施する大学、報道するメディア、とりしまる警察などを仕切っているオジサンたちが、あまりにも現代のIT環境の進化から取り残されているからに過ぎない。オジサンたちは、IT技術をやすやすと使う若者たちを内心やっかんでいるのはないか。そして、彼らのちょっとしたルール違反を鬼の首をとったように声高に言挙げし、溜飲を下げているように思える。
 考えてみれば、縮小コピーでカンニングペーパーをこしらえたのは、そんなオジサンの同世代たちだったではないか。オジサンたちの中にも、ひょっとして縮小コピーのカンニングペーパーを左手の中に忍ばせたことのある連中もいるに違いない。
 新しいメディア技術を使っているからといって、大騒ぎせず、不正を起こさせないような工夫をこれから考えればよいだけだろう。
 そして、何よりも、あいかわらず一発主義の入学試験に依存しつづける、入学者選抜制度の無策にこそ諸悪の根源があると、この事件から学ぶことの方がよっぽど意義のあることのように思える。

2011年1月30日日曜日

諫早湾干拓地入植者と満州開拓民


「精算の行方〜諫早湾干拓事業の軌跡」(NHK総合2011.1.29)を観た。
前半で、研究者の懸念や漁民の反対を押し切って、傲慢に進められる公共事業の姿が描かれていた。一旦決まると止められない公共事業。建設業界、地方政治家、中央官僚、それらの目先の利害がその根幹に横たわっている。誰もが知っているのに、止められない。将来、決定的な破綻が訪れることは確実なのに、最後のババを引かないという彼らの狡猾さが、事業を推進させる有力な要因であった。
そして、政権交代によって、その最後の時がやって来た。裁判所は、水門の開門を命じ、菅政権は、それを受け入れた。最後のババを引いたのは、もちろん、彼らではなかった。ババを引いたのは、彼らの甘言に乗って干拓地に入植した農民たちである。
「開門反対」「農地が駄目になる」
と入植農民たちは、口々に叫んだ。
彼らの悔しさは、当然だろう。ただ、このまま開門を命じる高裁の判決に抗して、政府が最高裁まで争いを引き延ばしたとして、何の展望があるのか。菅政権の決断は、遅すぎた決断を少し前倒ししたに過ぎないというべきなのだろう。
「農水省を信じていたのに」
と叫ぶ農民の苦悩の表情をカメラは捉え、番組は終わった。

そして、その映像を見つめながら、私は、同じく、この1月から始まったNHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」(NHK総合、1011.1.16)でリフレインされた事実を思った。満州国建国から日中戦争へと向かう帝国陸軍や外務省のエリートたちの意志決定と責任回避の姿である。
満州国建国と巨大公共事業。なんとよく似ていることだろうか。エリートたちの思惑が交錯する中、一旦、計画(作戦)が決定されると、小さな既成事実が積み上げられていく。その既成事実を前例として、事態は、絶対に後戻りできなくなり、あとは、どんなに不利益や破綻が待っていても、突き進んでいく。そして、最後は、膨大で取り返しの付かない大破綻の渦に吸い込まれていく。
計画(作戦)を立案した連中は、それが破綻するときには、すでに責任を負わない安全な場所に待避しているのだ。
そして、最後のババを引かされるのは、もちろん「国民」という一般大衆だ。
「しらなかった」「国に騙された」

多くの日本人たちが、満州開拓に動員されていった。
大規模農業、王道楽土、たくさんの甘い言葉がささやかれた。入植者たちがその危うさを知っていたか、知らなかったのか、それは分からない。しかし、結局は、条約を破棄して侵入してきたソ連軍から陸軍が退却する時間を稼ぐために、入植民たちは、防波堤として利用され、意図的に置き去りにされた。
戦後、満州から引き上げてきた日本人の多くが、もう二度とこの国のエリートには騙されまいと思ったはずだった。しかし、その教訓は、たやすく忘れ去られたのだろう。
これも「自己責任だ」と新自由主義者たちは、言うのだろうか。国家に騙される方が愚かなのだ。国家リスクをきちんと判断して、干拓地に入植すべきだったのだと。彼らにいわせれば、満州移民も同様なのに違いない。
新自由主義者の言説は、底知れず恐ろしいが、正鵠をえているというべきかもしれない。国家のリスクからいかに逃れるのか。「信じることのできない国家」、「国民を踏み台にして自己の利益を追求するエリートたち」、「国民でいることによってもたらされる厄災」。これからは、日本人も、これらのことを真剣に考慮する時代になってくるのだろうか。

思えば、19世紀以来、列強に蹂躙され、また、内戦やイデオロギー対立による変動にさらされてきた中国の人々の行動様式や心構えが、これからの日本にも、必要なのかもしれない。香港の大陸への返還が決まった途端、海外国籍の取得に奔走した香港の華人たち。彼らの行動をみて、眉をひそめる日本人たちも多かった。しかし、彼らのリスクヘッジ意識の高さこそ、今、見習うべきなのかもしれない。
国債が暴落するぞと脅され、財政政権のためと消費税が嵩上げされ、気がつけば、セーフティネットなき路頭に放り出されている自分を発見したとき、わたしたちは、また国家に騙されたと叫ぶのだろうか。それを叫ばないために、今、何をするべきか、考えておくべきなのだろう。

2010年11月13日土曜日

映像漏洩「保安官」に甘い日本メディア


昔、ハワイに留学していたとき、日米交流のためにホノルルに寄港した海上保安庁の保安艦をたずねたことがあった。かつて運輸省に勤めていた知り合いが招待してくれたのだ。日本食をご馳走してくれたお返しに、外出できない乗組員のために、買い物係をしてあげたりした。

彼らが日米交流で訪問した組織は、コーストガードだった。日本では沿岸警備隊と訳されるが、れっきとした軍である。米軍は5軍から成る。海兵隊(マリーン)海軍(ネイビー)陸軍(アーミー)空軍(エアフォース)そして、コーストガードである。

このことは、米軍が保安庁を軍事組織と理解していることを意味しているが、日本人は、それを理解していないようだ。

軍事組織である以上、厳しいシビリアンコントロールの下に置かれるべきであり、文民政府の決定や法に従わない隊員がいれば厳しく処分されるべきだ。今回の漏洩事件でもそうだ。

なのに、ジャーナリズムは、事件に係わった保安官に寛大な処分を求めている。海上保安庁を軍事組織とみる世界の常識は、日本のジャーナリズムには通じないようだ。平和ぼけというなら、こういう報道姿勢をいうべきだ。軍事組織の一員が、文民統制に反する行動をとったという事実に敏感であるべきだ。

ジャーナリストが政府の隠す映像を暴露するのとは本質的に異なる。愛国心を大義名分にして、軍事組織の一員が暴走した危険な事件だったと理解すべきではないのか。ジャーナリズムは、そのことを自覚すべきだ。すくなくとも、私はそう思う。

ホノルルで出会った保安官たちは、仲間意識の強い、気さくな人たちだった。自衛艦よりすくない人員で人命救助活動に専心しているという高い矜持。自衛隊員より遙かに高いプライドを持つ彼らは、交流相手の米コースドガードの志気の低さにやや物足りなさを感じているようにさえ思えた。

今回の事件について、彼らは何を思っているだろうか。強い仲間意識が偏狭な愛国意識に変質しないことを祈るばかりだ。保安官のプライドにかけて、「愛国無罪」といって無法を働く人たちと、彼らが同列であっていいわけはない。

2010年10月6日水曜日

名古屋市長の勝利は、議員たちのオウンゴール


名古屋市長が議会のリコールを求めて行った署名運動が終わり、ほぼ目標を達成したという。「NHKのクローズアップ現代」が取り上げていた。
大阪、名古屋、宮崎など地方自治体の首長が、一見、改革的だが本質的にポピュリズム(大衆迎合)に依拠する政策を掲げて、公務員をやり玉にあげ、被差別部落や障害者などに対する優遇政策を逆差別だときめつける、ある種のヘイトポリティクス(大衆の敵意や憎悪に迎合する政治運営)を展開し、サイレントマジョリティ(支配的多数派)の支持を集めている。その結果、世論調査は高支持率をはじき出し、彼らの向かうところ敵無しといった感じだ。彼らのやり方は、人権や社会的弱者への配慮を欠如している点で、本質的に新自由主義者の言説に似ている。
しかし、それに対抗する勢力は、今のところ、地方政治の中には現れていないといわざるを得ない。
映像を見ていると、河村市長に対立する市議会議員たちの活動が紹介されていた。その映像をみたとたん、議員たちの敗北は決定的だなぁと思わざるを得なかった。議員たちは、おそろいで作ったスタジアムジャンパーを着て、住民たちに支持を訴えていた。そのスタジャンの背には、「名古屋市会」と金色の文字が刺繍されていた。
「市会」
それはないだろう。市会というのは、戦前の旧天皇制支配の下で組織された翼賛的地方議会の名前ではないか。戦後憲法の下では、「市会」などもはや存在しない。「市議会」が正しい名称なのだ。
「市会」議員などと無自覚にも自称するその時代錯誤に気付かないのだろうか。それはとりもなおさず、戦前的な翼賛体質をそのまま残していることを自ら表明していることに他ならない。
この無自覚さと時代錯誤。それだけをとっても、河村市長に軍配を上げざるを得ないだろう。名古屋の乱は、市長の勝利というより、無自覚で旧態依然な議員たちが自ら墓穴をほった結果にほかならない。

2010年9月24日金曜日

領土をめぐる対立は、主権国家の病気


河北省の軍事区域内で撮影していた日本人4人が拘束された。そのニュースを聴いて、数年前の経験を思い出した。

中国雲南省からメコンを下りながら踏査しているとき、チャーターしたはずのボートになぜか二人の入国管理官が乗り込んできた。
チャーター船に役人をただ乗りさせる船会社の一種の賄賂だろうと思っていた。

しばらくして、そのうちの一人が居眠りを始めた。船からメコンを撮影していたカメラに 彼の寝姿が映り込んだ。それを観たもう一人の管理官が、突然、私を拘束すると言い出したのである。国境地帯を無断で撮影したという理由だ。


しかし、メコン流域はどこをとっても国境だ。それを撮影したから拘束するという理由はあきらかに嫌がらせだ。要するに、居眠りを撮影したテープを取り上げたかったのだろう。押し問答の末、テープの該当箇所を消去することで折り合い、管理官たちは、下船していった。

役人が無理難題をふっかけ、やりたい放題できる社会が、まだ、ここには残っているのだと思った。現地で暮らす住民たちは、さぞ大変だろう。そして、今回、拘束された日本人たちは、どんな扱いを受けているのだろうか。背後に国家指導部の指示があるとすれば、テープの消去や手土産程度じゃ済まないだろう。同情を禁じ得ない。

尖閣列島(釣魚島)海域で起きた船舶衝突事件で、浙江省杭州の日本人学校が投石され、一方、神戸の中国人学校に爆破予告の電話があった。国家間に緊張が生じると、かならず弱者に嫌がらせする卑怯者が現れる。その現象に国家や民族の違いはない。どちらもなんと下劣な連中だろうか。

領土をめぐる対立は、主権国家が原理的に抱える病気だ。国家の病気に感染して、隣国の子どもたちに投石したり、脅迫したりする、おろかな大衆になりさがるか、国家とは一線を引いて、それを克服する智恵を模索する賢い市民になるかが、二つの国家に跨って暮らす我々に課された課題ではないか。

2010年7月18日日曜日

日本語の何を大切にするのか

Jリーグの川淵さんもアルファベットで書き初めしている。

日曜の朝、母といつものように「サンデーモーニング」を観ていた。風を読むのコーナーで、最近、英語を公用語にする企業が増えてきた現象を取り上げて、日本語の問題を取り上げていた。観ていて、あいかわらずだなあと思った。
国際共通語としての英語は、ビジネスで必要だといいながら、一方で、日本語のすばらしさや固有の価値を説く。日本文化はすばらしい、日本語もすばらしい。この伝統を守れ!と合唱する。
しかし、日本語のどこが固有なのだ。中国語じゃないのか? だって、漢字で満たされているじゃないか。それも漢字が書けないと日本語の能力に欠けるような言い方が大手を振って歩いているじゃないか。
これだけ中国製の文字と表現を取り入れながら、日本文化の独自性と固有性を主張して恥じないというところに、言語ナショナリズムの愚かさがあるのではないか。
言語は、世界各地との文化交流や技術移転、経済支配や交易の中で、融通無碍に変化、発展してきたもので、もともと固有性やオリジナリティなどというものは、希薄なのだ。
日本などは、とりわけそうだろう。中国文明の影響を受けて、模倣と流用を繰り返してきた。その結果が、これほどまでの漢字の重用ではなかっただろうか。
しかし、明治以後の近代化の過程では、ヨーロッパ近代科学や社会科学の概念を漢字熟語に翻訳し、近代化に遅れをとっている中国に輸出したことも事実だ。たとえば、科学、社会、哲学、経済・・・などなど、挙げればきりがない。
日本語の優れた力をあえてあげれば、異種の言語から融通無碍に文字や概念や音を取り込むことができる能力なのではないか。
愚かな本居宣長のような「やまとことば」崇拝思想に毒されず、英語公用語化を受け入れながら、他方で、漢字検定に熱中できる、こういう人びとの節操のないところが、この言語の真の底力なのではないのか。
だとすれば、ひとつ提案がある。1500年前に中国から漢字を輸入し、また、漢字で構成された概念をそのまま借用したように、いっそのこと、外国語の文字と概念とそのまま、原語のまま、原音のまま、日本語の中で使用するようにすればどうだろう。
現在は、外来語という分類を当てられたことばは、カタカナで表記され、原音とはまるで異なった擬音を割り当てられて発音されている。そもそも、中国生まれの漢字を使っていながら、「外来語」などという分類概念を使っていること自体、欺瞞なのではないか。それなら、いっそのこと、しっかりとあらゆる文字と発音を平等に受け入れてはどうだろう。

そうすれば、たとえば、ウィキペディアの以下のような文章

「世界中どこでもマクドナルドやケンタッキー、コカコーラ、ウィンドウズが見られる光景は結局アメリカ国内で見られる文化を他国に輸出しているに過ぎず、「グローバリズム」ならぬ「アメリカニズム」であり、「グローバルスタンダード」ならぬ「アメリカンスタンダード」でしかないと考えられている。地域固有の文化を淘汰する傾向が多いため、左派のみならず、ナショナリストからも批判されている。」

は、こう書くことになる。

「世界中どこでもMcDonald'sやKFC、Coca-Cola、Windowsが見られる光景は結局America国内で見られる文化を他国に輸出しているに過ぎず、globalismならぬ「Americanism」であり、「global standards」ならぬ「American Standard」でしかないと考えられている。地域固有の文化を淘汰する傾向が多いため、左派のみならず、nationalistからも批判されている。」

こうして、漢字だけではなく、アルファベットもアラビックもどんどん取り込んでいく。日本語じゃなくなるって? いや、これこそ生命力みなぎる日本語らしい日本語だといえるのではないだろうか。