2011年3月17日木曜日

「放射線は怖くない」プロパガンダを超えて


 政府とメディアは福島原発事故の収拾がもはや不可能であることに気づいているのだろう。放射能の不安に怯える一般国民をなだめるために、一斉に「放射線は怖くない」プロパガンダを開始したのではないか。そんな予感がする。
 政府の広報装置と化している地上波TVでは、原子力業界の御用学者がつぎつぎと動員され、「マイクロシーベルトは大したことない」「普段から放射線に囲まれて暮らしている」「放射能対策は花粉症対策と同じ」といった言説を振りまいている。
 こういう状態の中で、きちんとした情報を提供してくれるのは、たとえば、USTREAMで記者会見を中継している原子力資料情報室くらいだ。原子力資料情報室は、湯川秀樹の再来といわれた原子物理学者、故高木仁三郎氏が設立した市民団体である。
 それを観れば、放射線に許容量などという概念が適応できるのは、急性障害についてのみで、晩発性障害(つまり、放射線によって傷つけられたDNAによって引き起こされるガンなどの疾病)は被曝した放射線量とみごとな相関関係を示していることが分かる。そこには、閾値などというものはない。
 人類は、いや、あらゆる生命は、普段から危険な放射線に抗して自らのDNAを守り、生存を続けてきたのである。だから、自然界にも放射線はあるから大丈夫なのではなく、だからこそ、さらなる放射線への被曝は避けなければならないのだ。
 しかし、そのような放射線被曝の危険を自覚しながらも、私は、放射能汚染の不安のある被災地への救援を躊躇するべきではないと考えている。
 数十年前、当時まだ衛生状態の悪かったタイを、ある高名な老農学者に導かれてフィールドワークしていたとき、その老農学者から次のような教訓を学んだ。その老農学者は、私にこう問うた。

「フィールドで、運悪く君が脱水による熱中症に陥ったとしよう。君の前には、メコン川の白濁した流れしかない。その水を飲めばアメーバ赤痢に感染するのは必至だ。しかし、それを飲まねば熱中症で死ぬだろう。さあ、君はどうする?」

 「究極の選択」問題を投げられて、答えに窮している私に、その老農学者は、こう言った。

「もちろん、躊躇せず、メコンの水を飲むんだよ。まず、今そこにある命を守れ。それがなにより大切なのだ。」

 晩発障害を怖れて、今、そこにある命の危機に対処しないのは、愚かだ。
 たとえ、晩発障害の可能性があったとして、今、命の危機にある被災者に手をさしのべないで、人の道が全うできるわけがない。
 どこかの国の政府のように、放射能に怯える自国民の脱出のために、ただでさえ不足している被災地のガソリンを占有し、被災者の命をさらに危機に陥れるような行動はするべきではないのだ。
 「放射線は怖くない」というメディアのプロパガンダのうそを見抜き、「放射線は危険だ」と認識しながらも、しかし、今、そこにある命を助けるのを躊躇してはいけない。今、必要なのは、そのような認識なのではないか。

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