2010年11月13日土曜日

映像漏洩「保安官」に甘い日本メディア


昔、ハワイに留学していたとき、日米交流のためにホノルルに寄港した海上保安庁の保安艦をたずねたことがあった。かつて運輸省に勤めていた知り合いが招待してくれたのだ。日本食をご馳走してくれたお返しに、外出できない乗組員のために、買い物係をしてあげたりした。

彼らが日米交流で訪問した組織は、コーストガードだった。日本では沿岸警備隊と訳されるが、れっきとした軍である。米軍は5軍から成る。海兵隊(マリーン)海軍(ネイビー)陸軍(アーミー)空軍(エアフォース)そして、コーストガードである。

このことは、米軍が保安庁を軍事組織と理解していることを意味しているが、日本人は、それを理解していないようだ。

軍事組織である以上、厳しいシビリアンコントロールの下に置かれるべきであり、文民政府の決定や法に従わない隊員がいれば厳しく処分されるべきだ。今回の漏洩事件でもそうだ。

なのに、ジャーナリズムは、事件に係わった保安官に寛大な処分を求めている。海上保安庁を軍事組織とみる世界の常識は、日本のジャーナリズムには通じないようだ。平和ぼけというなら、こういう報道姿勢をいうべきだ。軍事組織の一員が、文民統制に反する行動をとったという事実に敏感であるべきだ。

ジャーナリストが政府の隠す映像を暴露するのとは本質的に異なる。愛国心を大義名分にして、軍事組織の一員が暴走した危険な事件だったと理解すべきではないのか。ジャーナリズムは、そのことを自覚すべきだ。すくなくとも、私はそう思う。

ホノルルで出会った保安官たちは、仲間意識の強い、気さくな人たちだった。自衛艦よりすくない人員で人命救助活動に専心しているという高い矜持。自衛隊員より遙かに高いプライドを持つ彼らは、交流相手の米コースドガードの志気の低さにやや物足りなさを感じているようにさえ思えた。

今回の事件について、彼らは何を思っているだろうか。強い仲間意識が偏狭な愛国意識に変質しないことを祈るばかりだ。保安官のプライドにかけて、「愛国無罪」といって無法を働く人たちと、彼らが同列であっていいわけはない。