2014年6月6日金曜日

格差社会に参入するアトム型ロボットを天国の手塚はどう思うだろう

6月5日夜のNHKニュースウオッチのトップニュースは、ソフトバンクが新発売する人型ロボットだった。人と対話できるロボット、あたかも感情的な会話もできるように設計されている。でも、足元を見ると、平坦な床しか移動できそうもないし、重いものを持ってくれそうもない。20万円近い高額商品。なにに使える のかと問えば、老人ホームで、お年寄りの話相手になれるらしい。
 めまいがする。老人ホームでは、生活も出来ないような給料で介護職員たちが働いている。重労働や夜勤で体をいためる職員も多い。その労働をロボットが助けるというならわかる。しかし、もっとも人間がやるのが相応しい感情のコミュニケーションや心の癒やしをロボットにやらせて、重労働は低賃金の人間がやる。
 日本の人型ロボット開発のモデルは、長い間、鉄腕アトムだった。アメリカン・コミックが描くような無骨な鉄塊のロボットではなく、手塚は人間の友達としてアトムを作った。その背景には、人種差別に対する批判が込められていた。奴隷としてではなく、ロボットにも人権を与え、平等な社会を構想した。やさしい友達としての人型ロボット…その夢を日本のロボット技術開発は追ってきた。
 しかし、今、新自由主義経済の下、人間に対する格差や不平等を合理的だと肯定する社会が目の前にある。人間を平然と差別する社会に、人間と友達のように振る舞う人型ロボットが参入する。しかし、この人型ロボットは、会話しかできず、人間の辛い労働を助けない。
 もっとも、格差によって分断された社会にあって、お金はあるが孤立した人々の癒やしの道具として、ソフトバンクの人型ロボットは役立つかもしれない。しかし、人型ロボットと楽しく戯れるお金持ちたちのそばで、過酷な低賃金の労働者たちがもくもくと働く。そんなグロテスクな社会が目前に迫っている。
 天国の手塚は、それをどう眺めているのだろうか。