2010年3月22日月曜日
非実在青少年の性表現規制のおろかさ
あまりに愚劣な表現規制をもくろむ条例案が石原東京都政の下で進行しつつある。
児童ポルノに対する規制を逆手にとって、表現に対する規制を実現しようという魂胆がまず醜い。そもそも児童ポルノに対する規制は、児童がポルノグラフィーのモデルにされたり、撮影を強要されたりすることによって広義の性産業に搾取されることを防止するために進められてきた政策である。そこには搾取される実在の児童があり、侵害される人権がある。
ところが、非実在青少年には、そもそも実在していないのだから侵害される人権がない。名探偵コナンのアニメで非実在の人物が殺されたからといって、非実在人物に対する人権侵害があるとして、アニメが処罰の対象になるのか。あまりにも、ばかばかげている。
日本のアニメ芸術は、歴史的にみれば、絵巻や浮世絵など日本特有の描画芸術に深く根ざすものである。それらの伝統芸術は、性描写を不可分にその重要な構成要素として含み込んできた。歌麿の美人画は、あぶな絵(春画)を抜きにしては、その表現の全体をとらえることはできない。あの綿密で官能的な性描写が、歌麿にその芸術的達成をもたらしたといってよい。
今日のアニメ文化においても、同様だ。宮崎駿のような衆人から等しく評価をえるようなアニメ文化も、他方で目を覆うような性表現が等しく存在することによって、総体としてのアニメ文化に血と肉が与えられている。
実際、猟奇的な性表現を生産し続けるプロダクションで、現代のあぶな絵を作画し続けるアニメーターたちが、その一方で、文科省が特選にするような作品の重要な作画作業の一部を担っているということに、気付くべきなのである。
アニメ文化の振興といって、アニメの殿堂のような愚劣な箱物を作ろうとする愚劣にようやく終止符が打たれようとしたと思ったら、今度は、逆の規制が登場してくる。いい加減にそういうお節介は止めにするべきだろう。
他方、多くのアニメーターたちが生計のためにポルノグラフィーに手を出している。かれらに現代のあぶな絵を描かせたくないのだったら、彼らにもっと仕事を発注してやればいいのだ。もちろん、それでも描きたい絵師たちは、かならず残るだろう。しかし、今日のようにポルノアニメが氾濫するような状況とは、もうすこし異なった事態が出現するに違いないだろう。
日本の役人のやることは、またしても、かくのごとく愚かだ。
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