6月5日夜のNHKニュースウオッチのトップニュースは、ソフトバンクが新発売する人型ロボットだった。人と対話できるロボット、あたかも感情的な会話もできるように設計されている。でも、足元を見ると、平坦な床しか移動できそうもないし、重いものを持ってくれそうもない。20万円近い高額商品。なにに使える
のかと問えば、老人ホームで、お年寄りの話相手になれるらしい。
めまいがする。老人ホームでは、生活も出来ないような給料で介護職員たちが働いている。重労働や夜勤で体をいためる職員も多い。その労働をロボットが助けるというならわかる。しかし、もっとも人間がやるのが相応しい感情のコミュニケーションや心の癒やしをロボットにやらせて、重労働は低賃金の人間がやる。
日本の人型ロボット開発のモデルは、長い間、鉄腕アトムだった。アメリカン・コミックが描くような無骨な鉄塊のロボットではなく、手塚は人間の友達としてアトムを作った。その背景には、人種差別に対する批判が込められていた。奴隷としてではなく、ロボットにも人権を与え、平等な社会を構想した。やさしい友達としての人型ロボット…その夢を日本のロボット技術開発は追ってきた。
しかし、今、新自由主義経済の下、人間に対する格差や不平等を合理的だと肯定する社会が目の前にある。人間を平然と差別する社会に、人間と友達のように振る舞う人型ロボットが参入する。しかし、この人型ロボットは、会話しかできず、人間の辛い労働を助けない。
もっとも、格差によって分断された社会にあって、お金はあるが孤立した人々の癒やしの道具として、ソフトバンクの人型ロボットは役立つかもしれない。しかし、人型ロボットと楽しく戯れるお金持ちたちのそばで、過酷な低賃金の労働者たちがもくもくと働く。そんなグロテスクな社会が目前に迫っている。
天国の手塚は、それをどう眺めているのだろうか。
2014年6月6日金曜日
2014年2月10日月曜日
ETV特集「戦時徴用船〜知られざる民間商船の悲劇」を観た。
ETV特集「戦時徴用船〜知られざる民間商船の悲劇」を観た。無謀な戦争で、南太平洋に伸びきった補給線を維持するため、ロクな援護もなく物資輸送に投入された民間商船。要員の死亡率は、海軍軍人のそれより高かったという。
彼らが向かった目的地の1つ、ソロモン群島のガダルカナル。かつて調査で行ったことがある。島の野外マーケットで、往時の日本軍のヘルメットが、鉄さびになって売られていた。無残だった。まして、軍人でもない船員たちの死は、もっと不条理だったろう。
番組の後、調べたら、日本殉職船員顕彰会という団体が、慰霊の活動をしていた。そのHPに、太平洋戦争の開戦理由がこう書かれていた。
「太平洋戦争は、開戦に至るまでの経緯はともかく、直接的な動機は米英を中心とする連合国のわが国に対する経済封鎖、なかでもその殆どを米国に依存していた石油が、米国の「対日石油全面禁輸」によって確保出来なくなったことが、わが国が開戦に踏み切った最大の要因であった。」
読んでいて、心がなえるのを感じた。「開戦に至る経緯はともかく…」とは何事か。それが一番追及されるべきだろう。満州事変、日中戦争…。無謀で利己的な対外政策。それらの結果が招いた石油禁輸だったのではないか。
「石油の禁輸が開戦に踏み切った要因」というのも、単純なプロパガンダだ。当時の日本の消費エネルギーの大半は石炭と薪炭だった。石油がなくて困ったのは、動力源をほぼすべて石油に依存していた軍だった。石油禁輸で戦争ができなくなるから、戦争を始めたのが真相だろう。すくなくとも、エネルギー問題の専門家たちは、そういっている。
戦死した船員たちの無念を慰霊するのは、よいことだ。しかし、だからといって、手前勝手な理屈で内輪だけの顕彰を続けてよいものだろうか。他者と認識の共有をはかる努力が必要なのではないのか。
靖国問題や慰安婦問題についても同様のことなのだろう。
「理解を得る」といいながら、内向きの論理に浸り、他者の言い分を聞かず、一方的に理解しない相手を非難するのでは、相手もこちらの言い分に耳を傾けてくれないだろう。そんなギャップの行き着く先が「開戦」なのではなかったのだろうか。
彼らが向かった目的地の1つ、ソロモン群島のガダルカナル。かつて調査で行ったことがある。島の野外マーケットで、往時の日本軍のヘルメットが、鉄さびになって売られていた。無残だった。まして、軍人でもない船員たちの死は、もっと不条理だったろう。
番組の後、調べたら、日本殉職船員顕彰会という団体が、慰霊の活動をしていた。そのHPに、太平洋戦争の開戦理由がこう書かれていた。
「太平洋戦争は、開戦に至るまでの経緯はともかく、直接的な動機は米英を中心とする連合国のわが国に対する経済封鎖、なかでもその殆どを米国に依存していた石油が、米国の「対日石油全面禁輸」によって確保出来なくなったことが、わが国が開戦に踏み切った最大の要因であった。」
読んでいて、心がなえるのを感じた。「開戦に至る経緯はともかく…」とは何事か。それが一番追及されるべきだろう。満州事変、日中戦争…。無謀で利己的な対外政策。それらの結果が招いた石油禁輸だったのではないか。
「石油の禁輸が開戦に踏み切った要因」というのも、単純なプロパガンダだ。当時の日本の消費エネルギーの大半は石炭と薪炭だった。石油がなくて困ったのは、動力源をほぼすべて石油に依存していた軍だった。石油禁輸で戦争ができなくなるから、戦争を始めたのが真相だろう。すくなくとも、エネルギー問題の専門家たちは、そういっている。
戦死した船員たちの無念を慰霊するのは、よいことだ。しかし、だからといって、手前勝手な理屈で内輪だけの顕彰を続けてよいものだろうか。他者と認識の共有をはかる努力が必要なのではないのか。
靖国問題や慰安婦問題についても同様のことなのだろう。
「理解を得る」といいながら、内向きの論理に浸り、他者の言い分を聞かず、一方的に理解しない相手を非難するのでは、相手もこちらの言い分に耳を傾けてくれないだろう。そんなギャップの行き着く先が「開戦」なのではなかったのだろうか。
2014年1月15日水曜日
今日はマーチン・ルーサー・キングJr.記念日
今日、1月15日は、人種差別に反対し、公民権法の成立に命を賭したマーチン・ルーサー・キング Jr牧師の記念日です。人種差別は過去のアメリカの話ではなくて、「在日」外国人に対する憎悪をむき出しにしたヘイトスポーチが拡大しつつある今の日本の 重大課題だと思います。1・17を前にして、この日の重さについてもしっかりと受け止めたいと思います。ワシントン大行進で行われたキング牧師の歴史的スピーチは、Youtubeで視聴できます。
http://www.youtube.com/watch?v=HRIF4_WzU1w
その日本語訳は、アメリカ大使館の以下のサイトで読むことが出来ます。
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html
2012年4月21日土曜日
災害とメディアの役割〜スタンド・バイ・ミーの幻聴〜
阪神淡路大震災の直後、東京に暮らしていた私は、被災地の東端に位置する尼崎で暮らす年老いた両親の安否を確かめるため、一人リュックサックに食料や水を詰め込んで実家に向かった。さいわい実家は倒壊を免れていた。さらに尼崎市は停電からも免れていた。しかし、市境である武庫川を挟んで、西宮市は停電と断水が続き、復旧の見通しも立っていなかった。
両親の無事を確認した私は、持参した食料と水を西宮市の知人宅に届けるべく、夕闇の迫る武庫川の鉄橋を渡った。冷たく凍るような夜が迫っていた。橋の中央まできたとき、くっきりと明暗をわける武庫川の向こう側に佇む被災地を見つめた。しんしんと冷え渡る冬の月明かりの中に、それはくろぐろと横たわっていた。
そのとき、突然、ジョンレノンのスタンド・バイ・ミーがどこからか聴こえてきたような錯覚に陥った。
夜が来て
周囲が暗闇に落ち
月の光しか見えなくなっても
僕は 怖くない
君がそばにいるだけで
Stand by me
その歌は、被災地から地を伝わって響いてくるようにも思えた。その幻聴を聴きながら私は気づいた。こうしてここに被災地をみつめている自分がいる。災害の巨大な破壊力にくらべれば、私、いや人間の力はあまりにも小さく無力だ。しかし、ここに被災地をたしかにみつめている自分がいる。そのことを目の前に横たわる暗闇の中にいる人々に伝えたい。その気持はこらえようもなく高まっていった。
そして、そのとき私は、何があっても被災地をずっと見つめ続けていこうと密かに心に誓った。それが、私にできるもっとも確かなことのようにも思えた。
以来、自分自身で、あるいは、友人たちと、あるいは学生たちと、被災地支援のさまざまな活動に携わってきた。手応えを感じることもあったし、無力感に襲われることもあった。しかし、冴え渡る冬の橋の上で誓った、「見つめ続けていく」という心だけは曲げずに来た。
そして、今、災害とメディアの問題をメディア研究者の端くれとして考え、さまざまな提案や議論をする機会もあるのだが、いつも私の心の奥にリフレインしているのは、あの武庫川の橋の上で聴いたスタンド・バイ・ミーなのだ。
それは、メディアが災害時に果たす重要な役割でもあるに違いないのだ。被災地に寄り添い、被災者の声を聴き続けること。災害が起こった直後だけでなく、人々が災害から復興していく、その長く苦しい、孤独な過程にずっと寄り添って、見つめ続けていくこと。そして、それを被災地に伝え続けること。そのことが、もっとも大切なメディアの役割のひとつなのだと思う。
もし見上げる空が砕け散っても
山々が海まで崩れ落ちても
僕は泣かない
涙をこぼさない
君がそばにいるだけで
Stand by me
両親の無事を確認した私は、持参した食料と水を西宮市の知人宅に届けるべく、夕闇の迫る武庫川の鉄橋を渡った。冷たく凍るような夜が迫っていた。橋の中央まできたとき、くっきりと明暗をわける武庫川の向こう側に佇む被災地を見つめた。しんしんと冷え渡る冬の月明かりの中に、それはくろぐろと横たわっていた。
そのとき、突然、ジョンレノンのスタンド・バイ・ミーがどこからか聴こえてきたような錯覚に陥った。
夜が来て
周囲が暗闇に落ち
月の光しか見えなくなっても
僕は 怖くない
君がそばにいるだけで
Stand by me
その歌は、被災地から地を伝わって響いてくるようにも思えた。その幻聴を聴きながら私は気づいた。こうしてここに被災地をみつめている自分がいる。災害の巨大な破壊力にくらべれば、私、いや人間の力はあまりにも小さく無力だ。しかし、ここに被災地をたしかにみつめている自分がいる。そのことを目の前に横たわる暗闇の中にいる人々に伝えたい。その気持はこらえようもなく高まっていった。
そして、そのとき私は、何があっても被災地をずっと見つめ続けていこうと密かに心に誓った。それが、私にできるもっとも確かなことのようにも思えた。
以来、自分自身で、あるいは、友人たちと、あるいは学生たちと、被災地支援のさまざまな活動に携わってきた。手応えを感じることもあったし、無力感に襲われることもあった。しかし、冴え渡る冬の橋の上で誓った、「見つめ続けていく」という心だけは曲げずに来た。
そして、今、災害とメディアの問題をメディア研究者の端くれとして考え、さまざまな提案や議論をする機会もあるのだが、いつも私の心の奥にリフレインしているのは、あの武庫川の橋の上で聴いたスタンド・バイ・ミーなのだ。
それは、メディアが災害時に果たす重要な役割でもあるに違いないのだ。被災地に寄り添い、被災者の声を聴き続けること。災害が起こった直後だけでなく、人々が災害から復興していく、その長く苦しい、孤独な過程にずっと寄り添って、見つめ続けていくこと。そして、それを被災地に伝え続けること。そのことが、もっとも大切なメディアの役割のひとつなのだと思う。
もし見上げる空が砕け散っても
山々が海まで崩れ落ちても
僕は泣かない
涙をこぼさない
君がそばにいるだけで
Stand by me
2011年4月4日月曜日
チェコ国民博物館が構築する民族の大物語


イスタンブルに研究出張した帰路、すこし足を伸ばしてチェコのプラハを訪ねた。3日間ほどの短い滞在だったが、中欧の民族主義運動に以前からすこし関心を持っていたので、今回の訪問は、スメタナの名曲「我が祖国」に代表されるような、この小さな中欧の国の民族主義の来し方を自分の目で確かめる上でとても有意義だった。
社会主義体制からビロード革命を経て、資本主義社会の仲間入りをして、はや20年以上たった首都プラハは、その世界的に有名な美しい建築群の表層をけばけばしい商業広告で埋め尽くしながらも、なお美しい街並みを誇っていた。
街並みの見学も楽しかったが、いつものように、訪問国の歴史博物館をのぞくのも、興味深かった。チェコの歴史博物館といえば、国民博物館である。その名の通り、この博物館は、チェコ民族の創世に始まり、その連綿と続く歴史を歌い上げるために、1891年に建設された、ネオルネッサンス形式の荘厳な博物館である。
少々、大袈裟なファッサードを抜け、館内に足を踏み入れると、そこには、民族の創世神話に登場する女性像や偉大な王たちのブロンズ像が並び、訪問者をチェコ民族の大きな物語へと誘うのである。展示フロアーは3層から成っており、最上階から下へ下りながら、多くのこの手の博物館に観られるように、自然史、考古学的発見、古代史から中世史へと展示が繰り広げられていく。そして、最後に、チェコの政治史や学芸史に貢献した数多くの人物たちのブロンズ像が巧みに配列された、赤絨毯が敷き詰められた大広間に足を踏み入れることになるのである。
これらのブロンズ像として登場する人物たちこそ、チェコ民族の歴史物語を語る登場人物として、欠くことのできない人々である。そして、これらのブロンズ像に誰が登場し、だれが登場しないかを調べていくことは、なかなか興味深かった。全体をここに記すことは、冗長であろう。いくつか興味を引いた点を挙げれば、政治家の中には、プラハの春を指導したドプチェクはいなかった。作家には、チャペックはいたが、カフカはいなかった。ようするに、この広間を彩るブロンズ像群には、まだビロード革命後の歴史再評価は及んでいないのだろう。
ただ、しかし、興味深かったのは、たんに誰が登場し、誰が登場しないかという問題だけではない。その人物たちが、どのような配置関係を持っているかという点であった。
中でも、四角形の広間の手前の一辺を除く3つの辺には、互いに対面しあうように3対の立像が配置されていた。
正面の左右には、パラッキーとスタンバークが対面し、左袖には、マサリクとフス、右袖には、ネルーダとコメンスキーがそれぞれ対面していた。
これらに加えて、フスの傍らには、スメタナとドボザーク、その反対側のコメンスキーの傍らには、チャペックの像が配置されていた。
興味深かったのは、これら3対のブロンズ像の組みが何を意味するか考えてみることだった。
まず、パラッキーとスタンバークの対を考えてみる。パラッキーは、19世紀のチェコに生きた歴史学者であり、チェコ民族をドイツ民族との対抗関係において記述し、また、カトリックに抵抗したフス派の運動をたんなる異端宗派ではなく、チェコの国民主義運動の萌芽と位置づけたチェコ人の歴史観に大きな影響を与えた人物である。これに対し、スタンバークは、植物学者、昆虫学者で、1820年にボヘミアで最初の自然史博物館を開設した人物である。つまり、左にチェコの民族史、右に自然史を象徴する人物を配していて、この軸は、ようするにチェコ民族の領土(自然史)と歴史をめぐる言説のアカデミックな理性による構築を意味する軸であり、博物館という空間を左右に貫く、もっとも基本的な軸というべきものである。
一方、右辺の軸は、ネルーダとコメンスキーの対面によって構成されている。コメンスキーは、17世紀の宗教家・教育者で、宗教戦争後、チェコを追われ、終生故国には戻れなかったが、チェコ民族の復興にかかる著作を著し、その未来における復興という神話的言説を予告したことで有名な人物である。これに対し、ネルーダは、19世紀の作家で、チェコ愛国主義の復興に力を尽くした人物である。あらかじめ予告された民族の予言と復興という大きな物語の成立と完成にかかわるこの二人の人物が象徴する軸は、まさに民族の大物語の完成に費やされた歴史的時間に係わる軸というべきだろう。
これに対し、左辺の軸は、マサリクとフスの対面によって構成される。フスは、14世紀の宗教家である。堕落したカトリック教会を批判し、チェコ語による説教で多くの民衆の支持を集めた。ルターによる宗教改革より100年も前に宗教改革の理念を提示したが、コンスタンス公会議によって有罪とされ、火刑によって命を絶たれた。しかし、フスの宗教理念を受け継ぐフス派の宗教運動は、チェコ民族主義の先駆的形態として、パラッキーら後の歴史家たちに評価され、今日にいたっている。その像に対面するマサリクは、19世紀、近代における民族主義運動の指導者であり、オーストリア・ハンガリー帝国からの独立運動を指導し、1918年、チェコスロバキアの独立を勝ち取った。マサリクとフスを結ぶ軸は、いわばチェコ民族主義の政治的覚醒と情念を象徴する軸といえるかもしれない。
博物館を左右に貫く民族の理性という軸とそれぞれ直交する民族の政治的覚醒とあらかじめ予告された民族の歴史という二つの軸によって、この博物館は理性、情念、時間の3つの糸によって編み上げられた民族の大物語を構築しているのだといえよう。
2011年4月1日金曜日
公共広告(AC)はどこをむいているのか

震災報道が始まると、通常CMは恐れ入って自粛し、それに代わってACジャパン(旧:公共広告機構)の公共広告がテレビメディアを席巻していく。こういうパターンは、災害時メディアの基本モードになってしまった。それがよいとか悪いとかいうつもりはない。実際、多くの被災者が命の危機に直面し、水や衣料品など、生命を維持する基本的な物資にも事欠く事態に直面しているとき、大量消費を謳歌するようなCMがまったく場違いな印象を人々に与えることはいうまでもないからだ。
しかし、その代替として繰り返し流される公共広告は、もっともな公共善や善行を人々に呼びかけているようにみえるが、すこし奇妙なメッセージをそこに発見しているのは、私だけだろうか。
たとえば、「今、私たちにできること」というタイトルで流されるテレビ広告がそうだ。この広告では、震災際して私たちができるさまざまな行動が呼びかけられている。しかし、その真っ先に呼びかけられる行動が、節電なのである。現地への義援金や支援の呼びかけよりも、節電が優先されるのだ。
どこか変である。東電のエリアなら、それなりに理解できる。計画停電への協力を訴えかけているのだろう。しかし、私がこの広告を視聴しているのは、関西電力のエリアである。たしかに節電は意味のあることだろうが、それが被災地への支援になるという重要度のプライオリティは、きわめて低い。周波数の違う関西・中部・九州・四国からは、ぜいぜい100万キロワットくらいしか電力を被災地には送れないからだ。それなのに、なぜ、今、節電なのか?
この不可思議な呼びかけの背後には、今日のマスメディアのゆがみがいくつか透けて見える。
まず、東京で作られる情報を全国民に押しつけるといういつものやり方だ。東京のニーズが日本のニーズだといわんばかりだ。間違ってはいけない。電気が足りないのは東京だけだ。東京以外の住民は、普通に電気をつかって暮らしていて悪いわけはない。そもそも、普段から不夜城のように電飾で街を飾り立て、湯水のように電気を浪費してきた、その旗頭は東京だったではないか。そのライフスタイルを死にものぐるいで維持するために、福島や柏崎に原発を作ってきたのが東京電力だ。首都圏に住む人びとは、原発が建設される地方の苦悩を観て見ぬふりをしてきたではないか。
その原発が使い物にならなくなって、自分の足許の電気が足りなくなった途端、今度は、上から全国民に向かって節電を説教する。あんたに言われなくとも、節電など、とっくにしている。マリーアントワネットに節約を説かれて激怒したパリ市民の気分と同じ気分を地方の視聴者は感じたことだろう。
つぎに、なぜ被災地への支援より節電なのか。節電の背後には、電力の危機をことさら強調しようというなんらかの意図があるように思えてならない。その背後に、原発はやはり必要だという影のメッセージを読み取るのは私だけだろうか。自然エネルギーへの切り替えや代替エネルギーへの提案など、原発依存構造をみなおすことなく、ただたんに電気が足りない、節電せよというメッセージばかりを「公共」の名を借りて流すことは、ほんとうに公共の利益になるのだろうか。
公共広告機構の会員に名を連ねるのは、これまでの産業構造を支えてきた旧世代の企業たちだ。これらのスポンサーが押しつけてくる「公共福祉」が、ほんとうにこれからの未来の私たちにとって「公共福祉」になるのか、この際、じっくりと考え直してみるべきなのである。
2011年3月17日木曜日
抑圧移譲という「おきて」

写真:丸山真男(政治学者)
戦後を代表する稀代の政治学者である丸山真男が、日本の官僚政治システムの特徴として指摘した、たいへん有名な原理がある。「抑圧移譲」という原理だ。組織の上位にあるエリートが、自分の責任を逃れるために、一方的で理不尽な命令や圧迫を「上」から「下」へ次々と移譲していくことで、最終的に組織の一番下位に位置する弱者が、一身に組織全体の責任を押しつけられ、圧迫の犠牲になるという原理である。(丸山真男『現代政治の思想と行動』未來社、1964年)
3月15日早朝、福島原発事故について苛立ちを募らせた菅首相は、東京電力本社を急襲し、「一体どうなっているんだ」と怒号を発し、事故を処理するのは「あなたたちしかいないでしょう」「覚悟を決めてください。撤退したときには、東電は100%つぶれますよ」などと恫喝したとメディアは報じた。
震災が発生して以来、福島原発がすべての電力を喪失し、このような事態に向かってつるべ落としに転がりだして以来、対策を東電に任せっきりにし、放置してきた自分の責任は棚上げにして、東電幹部を恫喝したのだ。これこそ、典型的な抑圧移譲ではないか。
恐ろしいことは、きっと恫喝された東電組織の中では、上から下へと、次々と抑圧が移譲されているに違いないということだ。そして、その抑圧移譲の最終の末端は、昼夜を徹して原子炉の冷却に奔走している現場に違いない。その中には、たくさんの下請け業者の労働者たちもいるだろう。そして、かれらに対して、会社の上層部は、こう耳打ちしているに違いない。
「今回は、死んでくれないか。あんたが放射能を浴びるのを覚悟で原子炉を冷却してくれれば、東電は生き延びれるじゃないか。会社があればこそ、あんたも、あんたの家族も路頭に迷わない。いいだろ。今回は死んでくれ。お願いだ」
こうして現場は、かつて多くの若者が特攻隊に志願させられたように、死地に追い込まれていくのではないのか。そう思えてならない。
メディアは、死んでいった彼らを英雄として褒め称えるだろう。自らを顧みず、日本を救おうとしたヒーローであると。しかし、騙されてはいけないのだろう。その美談の背後に、戦前から戦後へと連綿と生き延びてきた抑圧移譲の原理が、厳然と機能し続けているのだ。
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