日本に研究滞在中のコリアン系女性研究者が送ってくれた研究論文に、サンドラ・ハーディングのスタンドポイント理論が引用されていた。ハーディングはフェミニスト哲学者としてと同時に、「無知学」の研究者としても著名で、彼女の、支配集団(多数派)の無知についての論考には深く首肯するところだった。ハーディングは、抑圧を受けない支配集団は、現在の社会秩序や不正義に対して関心が低く、無知で ある傾向をもつと述べている。もっといえば、無知でいられる特権を享受していると言ってもよい。
今回の衆議院議員選挙の結果に接して、この「多数派の無知」の典型だと思った。事実に裏づかない外国人政策、経済学的知見を無視するような経済政策。それを振りかざす首相に「強そうで人気がある」と言って追従する多数派の群れ。ハーディングのいう「多数派の無知」とは、まさにこのことではないか。
ハーディングは、そんな多数派の無知に対して、「抑圧を受けている、不利なスタンドポイント(立場)にある集団 は、そのためにかえって支配的な集団に対して認識的な優位性をもちうる」と説いている。ようするに、マイノリティの声に耳を傾けることが、真理に近づく重要な道だというのだ。そのとおりだと思う。実際、今回の選挙でも、多様なマイノリティたちが現首相の言説を危ぶむ声を発していた。しかし、その声は無視された。
それを観ていて、不吉な想いにかられた。
ギリシャ神話に登場する、トロイの王女・カサンドラのことだ。彼女は、するどい予知能力をもつが、アポロンの呪にかかり、彼女の予言は誰にも信じてもらえない運命を持たされる。
マイノリティたちが示す優れた認識や警告も、マイノリティに対する共感を失い、ヘイトすらしかねない多数派によって無視され、結局、社会に受け入れられない、カサンドラの予言に終わるのではないか。そして、社会は引き返し不可能点を超えて、望まない方向に進んでいるように想える。
ところで、アポロンは、なぜカサンドラに呪いをかけたか。美しい彼女の気を引こうと、アポロンは予知能力をカサンドラにプレゼント。すると、未来のアポロンの浮気を予知したカサンドラは、アポロンの誘いをきっぱり拒否。怒ったアポロンは、彼女の予言は無視されるという呪いをかけたというお話。だから、トロイ戦争もギリシャ軍の木馬作戦も見抜いていたカサンドラの予言は無視され、トロイ軍はギリシャ軍の罠に落ち、敗北してしまう。
カサンドラ、アポロン、トロイ軍は、それぞれ、女性、権力、男性社会を象徴している。だから、カサンドラ(女性)の焦燥と絶望は、先が見通せるだけ、深く辛いのだろう。
「ママ、戦争とめてくる」といって投票所に向かった女性たちの、未来をみる目のたしかさと、同時に焦燥を想う。
実は、女性である高市氏も自分のプロパガンダが導く未来を見抜いているに違いない。それは、確実に中国との戦争につながる道だ。しかし、彼女は、その明晰な予言を隠して、無知の特権にどっぷり浸かる多数派には「強い日本」などという耳あたりのいいプロパガンダを連呼しつづける。そして、密かに満たされなかった承認欲求と自尊感情の回復を求めて走り続けるのだろう。
